藤田嗣治展に行ってきた

藤田嗣治展に行ってきた。 わざわざ、こんな台風でヤバイ日に外に出なくても、と自分でも思うが、ここまで行ける日がなかった。

個人的には、「藤田嗣治」というよりかは「レオナール・フジタ」というほうがイメージが強いのだが、名前はなんとなく知っていた。

藤田により強い関心が芽生えたのは、片山杜秀の『未完のファシズム』で『アッツ島玉砕』が紹介されていたからだった。

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

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今回の藤田嗣治展でも一番見たかったのはこの一枚だった。 あれは、「作戦記録画」という代物で、主に軍部の嘱託により制作され、軍部に公式に認められたもので、「戦争画」よりは語義が狭いらしい。

戦後、藤田はフランスへ渡り、その後、日本へは帰ってこなかったというのを聞いており、「戦争に利用された悲劇の画家」というイメージがあった。

一方、解説を読むと、戦争へ向かう日本に渋々帰ってくるような表現がある一方、「作戦記録画」をわりとノリノリで描いていたところもあり、実際のところはよくわからない。

肝心の『アッツ島玉砕』はというと、思ったよりサイズが大きく圧倒されたというのが第一の感想。 敵味方入り乱れての白兵戦状態で、銃は弾を飛ばすものではなく、槍や棍棒と化している。 全体的に茶色で暗い作品で、中央中景の日本兵の歯が異様に白いのに目が奪われた。

思ったより「作戦記録画」がなかった点は、ちょっと残念だった。そういう企画じゃないのはわかっていたが。 一方で、その頃の、逆光の自画像は強く印象に残った。 解説では、「作戦記録画」を発表しつつも、本作で内省が示されていると書かれていたが、かなり正しい評価だと感じる。 藤田にとって、作品に没頭するしかない世界だったのだろうと思う。

ただまぁ、こうやって考えてみると、藤田は非常に「素直」な人間だったのではないか、と思えてきた。 あと、略年表があったのだが、女をとっかえひっかえしすぎ。 なお、略年表は最後の伴侶である君代が何の説明もなく、突然、戦後、日本を離れるタイミングで現れてきて、ちょっとこまった。 横のカップルも「君代って誰?突然出てきた」と言っていたので、私の見落としではなく、突然出てきたんだろう。

また図録を買ってしまった。置く場所があまりないのに。

この展覧会のだけのつもりだったけど、おべんとう展というのもやっていて、ついでに足を運んだ。 お弁当の精霊の展示はよくわからなかったが、その他の展示は面白かった。江戸時代にはお弁当に刺身が入ってたんか。

あゆみ食堂の展示は良かったな。 ネットでも読めるようだ。

台風接近のため帰りを優先し、全部は観きれなかったが、中学生の映像作品もよかった。お弁当を作るというテーマだけでよく、あそこまで作ったもんだ。