実家の猫が急死した。

2022年1月7日午前8時55分頃、1匹の猫が死んだ。私の実家で飼っていたメス猫だった。
他の人にとっては興味がないことかもしれないが、彼女との思い出をまとめておきたいと思う。今は絶対に忘れないと思っていることでも日が経つと忘れてしまいそうだ(し、昔の写真や動画を掘り返すと実際に忘れていることがいくつかあった)。

そもそもを言えば、我が家で猫を飼う予定なんてこれっぽちもなかった。

もっとも、猫自体は母方の祖父母の家で飼われていたことがあり、慣れていたと言い切りづらいものの、遠い存在ではなかった。その家で飼われていたのは初代が長毛種で白く気の強いメス猫、2代目が気の弱く甘えん坊な茶トラのオス猫だった。初代の方は気がきつかったため、幼い自分には猫は怖い存在だった。母曰く「お前があの子を徹底的に追い詰めていたからキレられてただけ」とのことだが。2代目が人懐っこい性格で、また自分もそれなりに大きくなり、キレられることがなかったため、猫はかわいいものと認識がシフトした。

2代目が亡くなり、以前より猫が遠い存在となって、自分の家でも猫がほしいと思うようになった。「黒猫の超かわいくて賢いメス猫が突然、庭先に現れて飼われることにならないか」という希望というべきか絵空事というべきか、とりあえず、そういうことは何度も言っては母には「はいはい、わかったわかった。そんな都合がいいことないから」とあしらわれていた。ちなみに、この絵空事のうち「庭先」のくだりは祖父母宅で飼われていた猫が野良猫だったところ、家の庭に住み着くようになり飼われ始めたという経緯を踏まえたものだ。父の方も「猫を飼うと家が傷むから」という理由でネガティブな反応だった。一軒家を建てて、ペットを飼えるようになったから(それまでは団地ぐらしでペットはNGだった)私はそういうことを言い出したのだが、家を建てたばっかりだからやめてほしいということだ。また、父は猫より犬のほうが好きだった。

彼女を飼うことになる直前はこんな雰囲気だった。

そんな状況が一変したのは、ある一本の電話だった。こういうご時世なので、知人のAさんとしておこう。Aさんは幼小中で私(と妹)の同級生の母親で、今現在もうちの母と親交がある人だ。電話越しにAさんは「保護猫を引き取ってくれないか」と言ったそうだ。何やら、Aさんのさらにその知人であるBさんから依頼を受けたらしい。Aさんのところで飼われていた猫を紹介したのがBさんといった関係だった記憶だ。とにかく、Bさんから「誰か保護猫を引き取ってくれる人に心当たりがいないか」ということで、うちに打診があったということだ。

どうしてそういう話になったかという説明をするにはあと何人か登場させないといけない。Bさんの知人であるCさんが猫の保護活動に熱心な方で、自宅に多数の猫を飼っていたらしい。しかし、Cさんが急死されたらしい。これだけでもCさんの保護猫の運命やいかにというところだが、Cさんのご近所さんのDさんがCさんの活動に対して批判的だったらしく、Cさんが急死されたことを受けて、保健所に猫の回収で連絡をしたそうだ。このままでは殺処分となるため、Bさんはその人脈を使って、まずは一時的に、その先は、恒久的に飼育してくれそうな家庭に片っ端からあたったということのようだ。このあたりになると直接見聞きしたわけではなく、母やAさん、Bさんから当時聞いた話をさらに今思い出して書いているので、真偽のほどは定かではないが、そういう理解であるということにしておいてほしい。

とにもかくにも、こういう次第で我が家に「猫を飼う」という選択肢が突然、舞い込んできた。相談の末の結論は「飼う方向で進める」であった。母自体は猫が好きだし、殺処分されそうになった(いったんは全部の猫に一時的に引き取ってくれる家庭が見つかったため、殺処分という展開は、我が家が回答するまでに回避できていた)子たちという経緯も踏まえて賛成の立場だったが、母曰く、父も「最近、家族がそっけない」という理由でOKしたそうだ。ちなみに、母のコメントは「そっけなくて悪かったな(笑)」であった。

こういう経緯で彼女が来た、という話かと思うだろうが、実はそうではない。当初もらっていた候補の保護猫リストに彼女はいなかった。リストにないものは選びようがないので、リストにあった猫たちのうち、茶トラのオスの引き取りを申し出た。祖父母宅の2代目を思い出してのことであった。しかし、その彼はうちには来なかった。一時的に彼を預かっていた家族の情が完全に彼に移ってしまい、このまま飼いたいと言い出したらしい。少々肩透かしではあるが、うちとしても、新しい家族とうまくやれているのなら、それに越したことはない。今回の話はなかったことに……となるはずだった。

「実はもう一匹子猫がいてね」ということでオファーされたのが彼女だった。生後3ヶ月くらいの黒のメス猫と聞かされた。Bさんの家では彼女の兄にあたるオス猫を飼っていて、兄妹は年齢は違うが、父親も母親も同じであり、正真正銘の兄妹であった。そのため、Bさんもこの子は自分の家で飼おうと思っていたからリストになかったのではないかと思う。また、Aさんがぽろりと「実はリスト外にもいい子がいて、Bさんのところにいる」と言っているのを聞いていたが、私はそれは彼女のことではないかと思っている。

黒のメス猫と聞いたら、以前から絵空事でそんなことを言っていた私が黙っているわけもなく、また、一時は猫を飼うという方向になった勢いに乗じて、ぐいぐい押した。飼うこと自体はほぼ内定していたので、実際に飼うとなった場合の説明も兼ねて、お試しの面会が2009年12月末ごろに設定された。黒猫と聞いて勝手に和猫をイメージしていたが、THE日本の黒猫という感じではなく、非常に毛が柔らかい長毛種だった。また、その頃の彼女は襟巻きのようにチャコールグレーの毛をまとっていた。色自体は成長に連れ落ち着くことになるが、メインクーンサビ猫のミックスと言われれれば、なるほどという姿であった。かぎしっぽでこれは幸運を呼ぶしっぽだと言われた。

面会は非常に好感触で終わった。我が家に猫のおもちゃなんてものはないので、適当に紙袋についてる紐状の取っ手を振り回して遊んでいたが、彼女は大興奮であった。あまりにも馴染みすぎて、大意ではあるが、Bさんをして「まるで最初からこの家にいたかのようだ」と言わしめるほどであった。年が明けたら、我が家にお迎えすることとなり、2010年1月17日に我が家での生活が始まった。

彼女は鼻風邪にかかっていた。それは彼女がCさん宅の庭に捨てられた理由でもある。あくまで、Bさん曰くだが、その母猫は野生ではこのまま病気で死んでいく子でも、Cさんのところに捨てれば、引き取っていいようにしてくれるというのをわかっていて捨ていくのだと言っていた。Bさんからは「治療したら治ると思う」と聞いていたが、あいにく、治ることはない持病となった。仕方ない。なにかの拍子に鼻が詰まるとくしゃみをするなど苦しそうなのが気の毒だった。

彼女は非常によく遊ぶ子であった。メインクーンは手先が器用で遊びが好きらしく、その血を引いていたのだろう。年齢とともに絶対的な運動量は減ったものの、いつまで経っても遊びへの欲求は絶えない子であった。私がたまに遊ぶのを面倒くさがると、母は「猫が遊ぶのは3歳くらいで、今だけだから今のうちに遊んだり」と言われて遊ぶみたいなことはあったが、後に3歳をとうに過ぎても遊ぶ彼女(に話しかける体で私の母)に向かって「3歳くらいで遊ばなくなるって聞いてたんやけどなぁ」と嬉しい愚痴をこぼしていた。別観点で言えば、テレビ番組で好きなことを絡めれば猫も芸をすると聞いて、試しに「お手とおかわりをしたら遊びに入る」というフローにしたところ見事にそれをやるようになったくらいとも言える。あるいは、毎年受ける予防接種の副反応でフラフラになっても遊びを要求するくらいとも言えるし、食べることよりも遊びが優先で遊びの気配があると食事を中断して遊びにいき、遊びが足りないと食欲が出ないこともあったとも言える。子猫のうちは、冬の寒さを凌ぐために室内に取り入れた観葉植物の木に手をかけていたこともあった(この姿を人間たちの間では「ライオン・キング」といっていた)。とにかく、遊びが好きで家族の間では「この子は遊ばなくなったら終わり」「この子は遊びながら死ぬればそれが本望ではないか」などと言っていた。

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また、非常に頭がいい子だったと思う。人間の動きや反応をよく見ていた。例えば、リビングと和室をつなぐ引き戸があるのだが、これを開けるだけでなく、主張があるときは大きな動き・音になるように開ける(例えば「お前ら何先にねとんじゃー。遊べぇー。」「朝じゃー。起きろー。」という具合だ)し、そうでないときは手を使って器用に、かつ、自分が通れるぶんだけを開けるという使い分けをしていた。遊びのときはおもちゃを持つ人間の手を見て根本を攻撃し始めることもあった(そういうときは「わざわざ遊んでるのに省力で遊ばないでほしい」という気持ちでいっぱいだ)。日々のルーチーンがわかっているので、夜の歯磨きが終わる音が聞こえるとさっと洗面所にいる私の背後に立ち、遊びを要求した。書いていて、たいていの猫はそうじゃないかという気がしてきたが、賢かったことにしておこう。

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ここで小話ではあるが、個人的には、子猫が空間把握する過程に立ち会えたことがありとても面白かった。内股の間からおもちゃを出し入れするという遊びをしていたところ、最初は、おもちゃ引っ込むと引っ込んだところに正面からアタックしていたが、ちょっとヒントを与えると「身体の後ろ」という概念を発見し、裏に回るようになったのだ。また、リビングの吹き抜けから見える2階の廊下に連れて行っても、最初は「1階から見えてる廊下」という認識がなかったのが、徐々に「ここは下から見えるあそこ」という認識を身に着けたのも面白かった。

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性格としては内弁慶であった。家の人間に対しては強気な態度を取るが、家族以外の人間に対しては警戒心が強く、歳とともに後者の傾向は強くなった。我が家は友人あまり来る家ではなかったというのもあるだろうが、幼少期に保健所の人に捕まりかけたということもあったのだろう。彼女についてはBさんが止めに入ったため、保健所の人に捕まること自体はなかったが、一種のトラウマであった可能性はある。家族以外の男の人を苦手とする場面が多く、配達のお兄さんも嫌いだった。

また、同じく捕まりかけたのが理由でということになっているが、抱っこが非常に嫌いだった。赤ん坊を抱くように、お腹を上にして抱っこなんてのはもってのほかだったし、お腹を下にしての抱っこにも不満で、我慢の限界を超えると威嚇されたり、噛んだり、暴れたりした。

噛み癖は最後まで直らなかった。これは幼少期に母猫に捨てられたことが原因とされた。流石にこれは直ったが、「こたつに脚が合計4本以上入ると噛まれる」と言われていた時期もあった。あいにく、きょうだい猫もおらず、加減を学ぶ機会がなく、最初はかなり痛かった。こたつの件で、父がわりとガチ目に怒っていたのを思い出す。彼女の側でも加減するようになったし、こちらの手の皮も厚くなったため、痛みは減ったが「手より先に口が先に出る」傾向はずっと続いた。そんな調子なので、「外に出たら狩りは下手で野垂れ死にだろう。家猫で良かったな。」と笑っていた。

彼女が生活に溶け込むにつれ、家がだんだんと猫仕様になった。必要最低限のケージやトイレ(2箇所)はさることながら、天井つっぱり型のキャットタワーが設置され、土鍋が置かれ(ちょうど猫鍋ブームが始まった頃だった)、人間がちょっと目を離したスキに所有権を主張した空き箱・捨てるはずだった学習机の椅子やら、トンネルやテント型の遊具、など、彼女のお気に入りのスポットが家の中にどんどん増えた。あまりにボロいものや最近使ってないものなどは捨てるのだが、解体していると「えっ、それ私のなのに捨てるんですか?」という目でこちらを見るもんだから、お気に入りスポットはなかなか減らない。猫なので人間の言葉を喋りこそしないが、目や動き・鳴き声で要求をよく訴えてきたものだった。

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話は遊びに戻るが、彼女の一番の遊び相手は私だったといって差し支えないだろう。両親に言わせると「彼女は一番お前のことが好き」である。だが、正確には私に対して、お得意の目や動き・鳴き声を使って、遊べという指示がよく飛んできたというべきだろう。「実は猫が人間をしつけている」という話を聞くが、個人的には納得度が非常に高い。少なくとも両親は「お前の遊びじゃないと満足しない」といっていた。次点で妹だった。彼女はその次点の父にも声をかけていたが、父は「ながら」で遊ぶのであまり気に入らなかった様子だった(当時は批判的に見ていたが、「ながら」の気持ちも、会社員をやっている今なら理解はできる)。走りまくって、体温が高くなり、普段は冷たい耳が熱くなるまで遊ぶこともあった。耳のことは「冷却フィン」と呼んでいた。

私が学生で実家にいる間、彼女は自分にとって最大の癒やしだった。メンタルの不調で留年したときも、就活で忙しいときも、卒論・修論で苦しいときも、彼女を撫でたり、遊んだり、(嫌がっても無理やり)抱っこしたりすることで幾ばくか癒やされた。

ところが、2016年になり、就職のため東京に出ることになり、毎晩のように遊ぶことができなくなったのが申し訳なかったが、帰省のたびにできる限り応じるようにしていた。2019年~2020年なり、9~10歳の「おばあちゃん」になったあたりから、遊びの量はだいぶ減り、代わりに「なでてくれ」という要求が増えたとのことだった。触られると遊びと思ってじゃれついてくるか避けるかのどっちかだったことが多かったので、以前では考えにくかった。ただ、私が帰省すると私が「遊ぶ?」って聞くこともあり、遊びのことを思い出すようだった。以前ほど跳ばないし、走らなくもなり、持続力も減ったが、遊びへの欲求自体は健在だった。遊ぶとなにかが分泌されるらしく「老いたなぁ」と思って見ていた毛や顔つきに、目に見えて艶が戻ったと感じることもあった。やはり彼女にとって遊びは命のようだった。

毎年の予防接種ついでにかかりつけの獣医さんに健康診断をしてもらっていて問題はなかった。年だからということで受けた血液検査の結果も、これといった問題はなく健康そのものだった。看護師さんからは「あと倍は生きそうやなぁ」と言われていた。一方、私は配偶者と結婚し、子供も授かった。配偶者については、母曰く「最初は妬けていた」とのことだったが、積極的に彼女に触れようとしないので、よくも悪くも「関係がない人」ということで関係は良好になる一方だった。また、子供についても、さすがにギャン泣きだけは勘弁だったようだが、2021-2022年の年末年始の帰省では、ケージ(彼女にとっての安全地帯)に逃げるということはめっきり減り、慣れつつあることが見て取れた。新しい家族と彼女の今後の交流を心から楽しみにしていた。

もっとも、彼女の死を意識していないわけではなかった。年々遊びの際の動きが鈍くなっており、10歳超えという年齢を感じさせずにはいられなかった。9月に帰省した際は生まれたばかりの子供にかかりっきりで、彼女のことは放置気味だったが、今回は、子供も成長して安定したので、彼女に割ける時間が多めに取れた。元気なうちに色々撮っておこうと考え、普段より気持ち多めの写真や動画に記録した。

また、彼女が亡くなる2日前に、大学時代の友人と京都で会うことができた。その友人も自宅で猫を飼っており、自然と猫の話になる場面があった。その友人はちょうど1年くらい前に子猫を病気で亡くしていた。その子について、後悔するところもあったようだが、最期は葬式をきっちり上げて見送れてよかった、という話を聞いた。話を聞きながら、12歳を迎えさすがに老猫と言って差し支えない彼女について思いを巡らせずにはいられなかった。今のところ、まだまだ元気だが彼女もいつか死ぬ。今後、何かの病気にかかって弱っていくのだろうか。しかし、彼女の"キャラ"的には病弱死というよりかは、遊びながら逝く気がする。こんな感じだ。

 

そして、2022年1月7日。別れは突然だった。

その日は、長めの冬休みも残すところあと数日で、実家から関東の自宅へ戻る予定の日だった。休みなのでもっと寝ていたいところだったが、父が朝から仕事に出かけるので早めに起きていた。朝ごはんを食べ、朝の彼女の姿を写真に撮った。そういえば日々の口内のメンテナンスの動画を撮ったことがない、ということで、タイムラプス動画に収めた。これが生前の彼女を記録した最後の画となる。

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背後から物が落ちる大きな音がしたのは、8:50頃。宅配便で送る荷物をまとめていたときだった。振り返ると、ケージに載せたクッションの上で寝ていた彼女がケージと窓の間に落ちていた。最初は彼女が何かをしようとして、珍しく失敗し、誤って落ちたくらいに考えていた。急いで駆け寄り彼女を抱きかかえたが、全身がぐったりしている。息はしていたと判断したが、目は見開いたままだった。先ほどの考えを捨て、てんかん発作か何かが起きたのではないかと思った。彼女を抱きかかえ、庭掃除をしている母を大声で呼んだ。パニックでどうしたらいいかわからなかったが彼女に呼びかけ続けた。母が到着し、動物病院に電話をかけたが、開業前でこちらからの電話ではつながらず、留守電にメッセージを吹き込んだ。

すぐに折返し電話があり、問診を受けたが、その最中に息をしなくなった。もしかしたら、「倒れたときは息はしていた」という判断が違っていたのかもしれない。いずれにしても、猫に関してのそのあたりの判断や心肺蘇生法については一切心得がなかったことが悔やまれる(犬猫を飼っている人は事前にこのあたりを見ておいてほしい)。抱きかかえた彼女の黒々とした瞳から生気が失われていくのが見て取れた。慌てて人間のそれと同じように心臓マッサージや人工呼吸をしたが息を吹き返すことはなかった。彼女は私の腕の中で息絶えた。8:55頃のことである。

彼女の亡骸は生前からは想像もつかないくらいにぐんにゃりとして、うまく抱えないと零れ落ちそうだった。完全に深刻なその状況にはそぐわないが「猫は液体」説というのは本当だなと思った。生前はお腹を上にして赤子のように抱かれるのを非常に嫌っていたが、このときばかりはそのスタイルで抱かせてくれた。これが最初で最後だった。

獣医さんいわく、不調の様子がなかったのなら、死因は心臓発作か脳梗塞だろうとのことだった。獣医でもなんでもないが、状況的には同意できる。ケージのクッションの上で寝ていたはずで、伸びか何かをしようとしたところ、心臓発作が起きて倒れて落ちたものと考えるのが自然だ。不調どころか、遊んでくれと言わんばかりの動きも見せており、普段どおりであった。血統的にメインクーンの血が入っているが、メインクーンは心臓が弱いということは聞いていたのでその点でも納得だ。考えようによっては、いわゆるピンピンコロリで、長い闘病生活の末にという人間にとっても本人にとってもつらい展開ではなかったのも良かったかもしれない。生前から家やものを引っ掻いたりもほとんどしないし、予防接種を除けば病院にもほぼ無縁だったので、母は「最初から最後まで手がかからない子だった」といって泣いた。

 

本当に偶然だが、"事件"の瞬間に立ち会えたのは「もっと早くに気づいていれば助かったかもしれない」という後悔を残さないため、不幸中の幸いだった。前述の通り母は庭掃除で外していたので、私がいなければ部屋に戻ってきてはじめて、すでに事切れた彼女と対面していたかもしれない。状況的にわかりやすかったのも幸いだった。例えばこたつの中で静かに逝ったという状況だったら、その場にいても気づかなかっただろう。そのため、気付きとしてはこれ以上にないくらいに迅速だったと思うし、発見から5分の間に、その時点の我々でできることはできたし、それでもだめだったという一種の納得感はある。また、個人的には前日の夜が今回の帰省で最後の夜だったので、彼女の遊びにとことん付き合っていたこともせめてもの救いだった。これが負担だったのではと言われるとつらいところだが、深夜に断続的に1時間ほど彼女が大好きだった遊びに本人が納得するまで付き合った。

悲しみを押して、私と母はネットで調べながら、今後の流れや亡骸の保全作業を進めた。図らずも2日前に猫の葬儀の話を友人から聞いていたので動きは比較的迅速だった。彼女の死を受け入れられない中で作業を進めるのはとてもつらいことだったが、私と母は立ち会えただけまだマシだった。父はその日の午後に急遽帰ってきてからの対面、妹は仕事の都合で帰省もできておらず、急遽新幹線に飛び乗り、完全に冷たくなってからの対面だった。葬儀は次の日の昼にできることになった。

生前の彼女が好きだったものを棺に入れて葬儀に臨んだ。その前に、棺に当たる箱だが、葬儀にはふさわしくないようにも思ったものの、馴染みのあるものが良いだろうということで、彼女が所有権を主張し、気に入ってよく入っていたAmazon段ボール箱にした。その中に彼女の亡骸を収め、おもちゃの猫じゃらしや餌を入れた。彼女が初めてうちに来たときに振り回して遊んでいた紙袋の紐状の取っ手がおもちゃ箱のそこに沈んでいたので、一緒に入れてやった。彼女がよく眺めていた庭の花も入れることにした。鳥が庭に落としていった球根から、季節外れのゆりがきれいに咲いていたので、これを買ってきた生花と入れることにした。家中にあるお気に入りスポットは入れようがないが、これは写真を入れることにした。

葬儀を執りおこなってくれた霊園までは車での移動だったが、そういえば彼女は車に乗るのが大嫌いでわんわん鳴いていた。霊園の人は終始非常に丁寧に対応してくれ、骨の解説もしてくれた。喉仏は仏の形だった。私たちは彼女を骨壷に詰めて帰った。

彼女は今、実家の一角に眠る。私にとって彼女はまさに絵空事で言った「突然、庭先に現れて飼われることにな」る「黒猫の超かわいくて賢いメス猫」であった。遊ぶのは3歳までと聞いていたのに、亡くなる前日まで遊んでいたのは騙された気持ちとまでは言わないまでも案外でだったが、最後まで彼女が好きなことをしてやれたのも、私の腕の中で看取れたのも私にとっては幸いだった。

ちゃこ、君のかぎしっぽは曰く通り幸運をもたらしてくました。思ったよりも早かったし、突然だったのがとても残念だけど、12年間、一緒に過ごしてくれてありがとう。ちゃこもそう思ってくれていたら嬉しいな。

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