ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)『ビザンツ帝国の最期』白水社、2013年。

ビザンツ帝国の最期

ビザンツ帝国の最期

順番的には『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』のほうが後なのだが、本棚から手にとった順では逆になってしまった。 そして、実は5月に入る前には読み終わっていたのだが、怠惰のせいで記録が遅れてしまった。

本物の千年王国として盛衰はありつつも生きながらえたビザンツ帝国の最期を、少なくとも筆者は、ロマンチックであり、英雄的なものとして記憶していた。 そして、どうも、「世間」でもだいたいそんな感じで記憶されているようだ。

著者は初っ端から、このロマンを砕いてくる。

皇帝の最後の演説、涙ながらの抱擁、祖国と信仰のために死ぬ覚悟であるという表明、これらの話は、絶望的な状況の中で、それに立ち向かう英雄的行為、自己犠牲の感動的な例として、何世紀にもわたって繰り返し語られてきた。 悲しいかな、それが事実ではないことはほぼ確実である。この話を伝えている年代記は偽作であった。 その年代記ビザンツ宮廷の政治家ゲルギオス・フランゼス(1401~1478)による方位の目撃記録と称しているが、実は一世紀も後になって、ナポリに住むギリシア大主教によって書かれたものなのである。 著者の大主教は、神聖ローマ皇帝がほどなくスルタンに戦いを挑み、コンスタンティノープルキリスト教徒の支配下に戻してくれるだろうという希望のもと、ギリシア人同胞を共通の敵のイスラームに対する戦いへと駆り立てようと考えて、祖先であるビザンツ人の英雄的行為を飾り立て、誇張して書いたのである。 1453年の包囲を記す正真正銘の同時代の記録の多くは、ずいぶん違う話を伝えている。 ある記録は、皇帝は演説をしたが、まったく違うことを言ったとしており、許しを請うたことや互いの法要、死のうという宣言などの感動的な話を伝えている記録はひとつもない。 逆に、目撃者の記録の多くは、コンスタンティノープルビザンツ人は断固命を賭けて戦おうとはしておらず、防衛にもっとも熱心だったのはヴェネツィア人とジェノヴァ人の部隊だったと述べている。 金持ちのビザンツ人は、財産を防衛のために差し出すどころか隠そうとしたし、貧しいものは、給料を払ってくれれば従軍すると言ったという。*1

読んでいて、初っ端から不穏となる記述だったため、少々長いが、引用をした次第だ。 筆者自身もぶちかましたことは認識しており「このありさまでは、ビザンツ帝国の最後の物語は書きにくくなるかもしれない。」と述べている*2

ビザンツ帝国にとって、これまでもそうであったように、異教徒であっても、使える手は結ぶといった状況で、「キリスト教 vs イスラーム」という構図は、西方キリスト教世界を相手に演出はしても、本質ではなかった。 トルコ人は異教徒ではあるが、コンスタンティノープルにも多く居住しており、常日頃から顔を突き合わせる隣人であり、互いに商売相手であったという状況だった。

そもそも、「キリスト教世界」と一括りにするのが間違いだろう。 現代の我々からすると、と言えば主語が大きくなりすぎるが、少なくとも、高校世界史のレベルであれば、それがカトリックであれプロテスタントであれ、東方教会であれ、一括りに「キリスト教」と言っていることがほとんどだろう。 しかし、ビザンツ人からすれば、イスラームが異教徒であるのと同様に、西方キリスト教も同程度に「異教徒」のようなものであったのだろうと想像する。 新旧約聖書という「プロトコル」を持つため、「異教徒」というのは言葉にすぎるが、それだけに、第四次十字軍があり、コンスタンティノープルに植民地を持つ、商売敵であり、関わるにはややこしい相手であったという状況というべきかもしれない。

そして、オスマンを相手に自身の生存が危ういにもかかわらず、ビザンツ帝国が一つにまとまれないのは、コンスタンティノープルから半独立の専制公という遠心力のあるシステムがあり、そして、その専制公らがそれぞれに、生存戦略を西方キリスト教世界、あるいは、オスマンとの融和、等々の軸に求めていたからでもあった。

本書を読んでいると、滅亡も直前の直前まで、生存戦略を巡って内部で争い続けており、その記述は「1453年」というその時が近づくにつれ、時間の刻みが細かくなり、まるで「アキレスと亀」のような感覚を覚えるところもある。 ただ、これは、我々が「1453年」という決定的なタイミングを後知恵で知っているからそう感じるのであり、直前まで生存に向けた議論や努力をおこなっていたのは、そのときを生きたビザンツ人にとって、「1453年」は自明ではなかったということでもあるのではないか。

果たして、コンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国は滅亡したが、今度は、その状況を前に、上は専制公から、下は貧民まで、西か東かの選択を迫られる様子を筆者は細かく描いていく。

筆者がうまいなと思うところは、冒頭でロマンは破砕しつつも、多彩な登場人物たちを駆使して、当時のビザンツ帝国内の動きを描き、ストーリーを再構築する部分であろうと思う。

英雄的、ロマン的な最期の描写の典型例として、スティーブン・ランシマン卿が挙げられているが、記憶では、15歳のときに『コンスタンティノープル陥落す』を読んだ記憶があり、訳者の井上があとがきで言及している塩野七生の『コンスタンティノープルの陥落』もその後に読んだ記憶がある。 当時は、この描写に心打たれたという記憶があるが、今になってみれば、ジョナサン・ハリスの描く像のほうが、リアルであり、人間味があり、非常に面白いと感じる。 本筋とは関係ない副産物だが、これもまた発見であった。

*1:本書、pp. 10-11。なお、西暦はアラビア数字に改めた。

*2:本書、p. 11。