ゴールドマン『ノモンハン 1939 第二次世界大戦の知られざる始点』みすず書房、2013年

ノモンハン 1939――第二次世界大戦の知られざる始点

ノモンハン 1939――第二次世界大戦の知られざる始点

読んだ順は前後。実家(事実上の書庫)に送ったと思っていたが、送っていなかったので、書けるやんということで。

ノモンハン事件の再評価

書名の通り、本書はノモンハン事件を「第二次世界大戦の知られざる始点」として再評価することを目標としている。 「第二次世界大戦の起源を論じた標準的な歴史研究は、日ソ間で発生したこの紛争、およびそれがヨーロッパの事態の推移に及ぼした影響にほとんど言及していない。本書はヨーロッパでの戦争についての全面的な再解釈というような大それたことは目指していない。そうではなく、第二次世界大戦の起源の解明という、いわばジグソーパズルを組み立てるような試みにおいて、小さくはあるが重要な、ノモンハン事件というピースが見落とされている、あるいは誤った場所にはめこまれているという事実に光を当てるものである。*1」 最初にこれを読んだ時は、副題ほど仰々しいものでもないゴールなのだな、と思ったが、今ここで記事のために引用してみると、筆者なりの「京都弁」なのかもしれないと思えてくる。

スターリンの外交的勝利

ここから少し世界史の授業である。ソ連はドイツとの不可侵条約とを結んだ。ドイツはソ連との不可侵条約を基に、ポーランドへ侵攻した。ヒトラーは英仏がポーランド救援に乗り出すことはないとタカをくくっていたが、英仏はドイツに宣戦布告した。ナチスは踵を返してフランスは制圧するものの、イギリスは攻略できなかった。ヒトラーは再び東方へ目を転じ「生存圏」の拡大を目指し、ソ連と対立、独ソ戦へと発展する。 日本は日本で、フランス本国がドイツに屈するのを見て、インドシナに進駐し、これがアメリカとの対立を深めることとなる。そして、1941年の真珠湾を迎え、枢軸国vs連合国という例の形が出来上がることとなる。 細かいことは省いたが、テストでこのように記述しても、ある程度の点数はもらえるだろう。

では、ノモンハンはこの構図のどこに位置づけられるのか。 著者は、スターリンは自らを高く売りつけるために、ドイツと英仏と競らせていたとしている。独ソ間の不可侵条約はドイツの、第二帝政からの悩みである、二正面作戦の恐怖を取り除いた。 しかし、ソ連にもその恐怖あった。西方の資本主義諸国と東方の日本とがそれである。 著者は、独ソ不可侵条約が締結された時期とノモンハン事件がピークを迎えていた時期が同じ1939年8月であったことに注目する。 結果、「ソ連が西側民主主義諸国と反ファシスト同盟を結成したならば、ドイツとの戦争という危険を冒すことになったろう。[…]また、ソ連が英仏と同盟を結べば、ドイツが日本と同盟を結成し、勢いを得た日本が徹底的な攻撃を加えた可能性もある。」つまり、英仏との同盟は二正面作戦の恐怖の現実化を招くと判断された。 一方、ドイツとの同盟は「それによってソ連はヨーロッパにおける戦争の局外に立つことができ[…]さらに、日本を名目上の同盟国からドイツを切り離すことに成功し、ノモンハンでは日本軍を徹底的に叩くことができた」としている*2

つまり、ノモンハンで危機があったからこそ、西での紛争回避とこの危機の解決とを一挙に狙える、独ソ不可侵条約を選択したというのである。

また、ノモンハンで徹底的にソ連軍が日本軍を叩いたからこそ、ゾルゲはスターリンに対し「日本の北進はない」と通報することができた。ゾルゲの通報があったからこそ、ソ連は極東の兵力をモスクワに展開することができた*3。日本が南進を決定した背景にはノモンハンの「責任者」たる辻や服部が参謀本部作戦課の中枢にポストを得ていたことが、少なからず影響しているという*4。南進の行き着く先が日米開戦であることを考えると、なるほど、ノモンハンは重要な「事件」であったというのも納得である*5

限定戦争としてのノモンハン

しかし、この外交的な動きの話をするだけなら、本書の紙幅は半分とは行かないまでも3分の2で済んだであろうというのが率直な感想である。というのも、本書の半分近くが戦闘のかなり細かい経緯・推移に費やされているからである。 もともと本書が英語の書籍であり、「ノモンハン」という文字列に馴染みのない人にもわかるように書かれているのであろう。というか、日本史をやった人でも名前しかわからないかもしれないので、まったくの不要というわけではない。実際に興味深く読むことができた。 しかし、戦闘の細かい経緯・推移と本書の目的とが密接にリンクしているかといえば、それほどではないと感じた。

ただ、結論部に当たる第7章の最後の数ページは本書の目的とは別の論点が展開されており、ここは戦闘の経緯・推移と密接にリンクしていた。ずばり「ノモンハンと限定戦争」という節である*6。 個人的には、ここが最も印象に残った部分であった。

著者はノモンハン事件を「近代(ナポレオン以降)、大国間で発生した最初の限定戦争*7」であったとする。著者は朝鮮戦争以後、大国間での限定戦争の可能性は多く研究されているものの、近代以降に具体的な事例が多くないため、理論に寄りすぎていると批判する。ノモンハンは数少ない具体例なのである。

また、別の切り口もある。つまり、この限定戦争としてのノモンハン事件は「意思決定を文民が統制する事例と軍人が統制する事例とが提示されている*8」のである。 前者は大粛清を経て、誰もスターリンに歯向かうことがなくなったソ連軍であり、後者は統帥権の独立を盾に独走する日本軍である。

ソ連関東軍とのノモンハンへの態度は対比的である。 「[…]関東軍は、一貫して、ノモンハン事件を孤立した事件として扱った。[…]この問題に国際的な側面があることを、一度たりとも意識した形跡はない。」 「『戦争とは他の手段をもってする外交の継続にすぎない』とはクラウゼヴィッツの言であるが、ソ連の政府首脳はこのことを十分に理解していた。ノモンハン地区の軍事的問題は、はるか広範な文脈に位置づけることで最善の解決を得られると認識していたのである。*9

平沼騏一郎独ソ不可侵条約の報を受けて「欧州情勢、複雑怪奇」と言った。著者の言を信じるならば、関東軍の辻や服部はこれをどう見ていたのだろうかと少し気になった。

*1: 本書、9頁。

*2: 本書、238頁。また、著者は1939年のイギリス、ソ連、ドイツ、日本にはそれぞれ主目標とそれがかなわない場合の副目標があったとし、結果は下記の通りであったとする:

イギリス

  1. ソ連との同盟による、ドイツのポーランド攻撃抑止(×)
  2. ソ連の英仏同盟へのコミット(×)

ドイツ

  1. ソ連との同盟による、英仏にポーランド援助を断念させる(×)
  2. ポーランド侵攻による英仏参戦の場合に、ソ連の中立確保

日本

  1. ソ連を標的にしたドイツとの軍事同盟締結(×)
  2. 包括的な防共協定(×)

ソ連

  1. 西側民主主義諸国と英仏との潰し合いで東西での裁量権確保(○)
  2. 対独戦の場合の英仏の援助確保(×)

これをもって筆者は「一九三九年の外交戦でスターリン勝利を収めた」という。本書、244-245頁。

*3:本書、262頁。

*4:本書、258頁。

*5:もっとも、この部分に関しては、既存研究がありそうではある。

*6:本書、266-272頁。

*7:本書、267頁。

*8:本書、267頁。

*9:本書、270頁。