高田貫太『海の向こうから見た倭国』講談社現代新書、2017年。中村修也『天智朝と東アジア―唐の支配から律令国家へ』NHK出版、2015年。

白村江の戦いってなんだったんだろうという関心から読んだ2冊。

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

海の向こうから見た倭国 (講談社現代新書)

こちらは、6世紀前半までの大陸と倭国の交渉の話。

全体的に地図というか、図解が少なくて、ちょっとつらかった。 どこの話をしているのか?という場面もちらほら。 各場面で大まかな各国の領域を示してほしかった気もするが、領域として明示してしまうのは、相互交渉やいろいろな人々が交わるネットワークを論じる上で都合が悪かったのかもしれない。 副葬品などの形状・系統によって、その古墳に埋葬された人物の系譜を想定し、論を組み立てるというのはなかなかおもしろかった。 百済倭国と仲がいいというのは有名だが、新羅倭国と交渉を持っていたというのは、さもありなんという印象ではあるが、論証されるとなるほどではあった。 あと、記憶の彼方にわずかに残る中学校で習った「任那支配」論というのは否定されているらしい。

「海の向こうから見」ているという性質上、話が朝鮮半島メインとなっており、これらの国々が倭国の支持を取り付けることでどういうメリットがあったのかがいまいちわからなかった。 忘れているだけで、はっきり書かれていたかもしれないが、半島に兵力を送り出していたり、須恵器が"輸出"されていたり、軍事・経済的なメリットといったところか。

天智朝と東アジア 唐の支配から律令国家へ (NHKブックス)

天智朝と東アジア 唐の支配から律令国家へ (NHKブックス)

一方、こちらがメインといってもいい、白村江の戦い以降の大和朝廷と大陸との関わりの話。

大筋において、白村江で破れ、持てる軍事力のほとんどを喪失した大和朝廷が唐からお咎めなしということはありえないよね、という話。 唐による羈縻政策を日本にも展開され、唐から吉野に至るまでの間に羈縻政策のための拠点が展開されていたが、のちの天武天皇にとって都合がいいように書かれた『日本書紀』では、これらは対唐防衛のための拠点であったとすり替えられているというロジックは興味深い。 近江遷都も天智天皇が白村江の敗戦にビビって実施したものではなく、唐が吉野に拠点を設置したため、強制移住されたというのは、以前から「たったそれだけの距離を移してなんの意味がある」と素人ながら思っていた筆者からすると納得の論であった。

難点を挙げるとすれば、朝廷が半島へ送り出した兵力の4万という数字に「盛ってないか」という批判的考察が不足していた点は挙げられる。 また、白村江に送り出し、喪失した兵力が朝廷の持てる兵力のほぼすべてで、ゆえに日本の防衛力がほぼゼロに落ち込んだというのがこの論のスタートであるが、文献以外をつかった論証が難しい兵力数はともかく、兵役適正年齢人口に関する考察がないので、そこは弱点か。

敗戦後、唐によるお咎めなしとする先行研究への批判として「常識的に考えて」としているが、やたらとこのような言い回しがあるので癇に障っているだけかもしれないが、ここへの考察も少し足りないような印象はある。 もっとも、唐は勝利した相手に対し、冊封体制羈縻政策を展開しているという事実もあるため、ここは当時の「常識」に適っているとは思われる。

加えて、その前に高田の論を読んだからではあるが、唐が拠点を設けて羈縻政策を展開したのであれば、考古学史料の1つや2つは出てきててもおかしくないが、そういう話はなかったように思われる。

とはいえ、全体的にアクロバティックな論理展開もなく、非常に納得のいく論旨であった。 素人ながら、学界的には広く支持されていない論なのだろうが、反対に、広く支持されているであろう「白村江以降、一転して唐と大和朝廷が友好関係を保った」という論理もいかがなものかという読後感である。

ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)『ビザンツ帝国の最期』白水社、2013年。

ビザンツ帝国の最期

ビザンツ帝国の最期

順番的には『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』のほうが後なのだが、本棚から手にとった順では逆になってしまった。 そして、実は5月に入る前には読み終わっていたのだが、怠惰のせいで記録が遅れてしまった。

本物の千年王国として盛衰はありつつも生きながらえたビザンツ帝国の最期を、少なくとも筆者は、ロマンチックであり、英雄的なものとして記憶していた。 そして、どうも、「世間」でもだいたいそんな感じで記憶されているようだ。

著者は初っ端から、このロマンを砕いてくる。

皇帝の最後の演説、涙ながらの抱擁、祖国と信仰のために死ぬ覚悟であるという表明、これらの話は、絶望的な状況の中で、それに立ち向かう英雄的行為、自己犠牲の感動的な例として、何世紀にもわたって繰り返し語られてきた。 悲しいかな、それが事実ではないことはほぼ確実である。この話を伝えている年代記は偽作であった。 その年代記ビザンツ宮廷の政治家ゲルギオス・フランゼス(1401~1478)による方位の目撃記録と称しているが、実は一世紀も後になって、ナポリに住むギリシア大主教によって書かれたものなのである。 著者の大主教は、神聖ローマ皇帝がほどなくスルタンに戦いを挑み、コンスタンティノープルキリスト教徒の支配下に戻してくれるだろうという希望のもと、ギリシア人同胞を共通の敵のイスラームに対する戦いへと駆り立てようと考えて、祖先であるビザンツ人の英雄的行為を飾り立て、誇張して書いたのである。 1453年の包囲を記す正真正銘の同時代の記録の多くは、ずいぶん違う話を伝えている。 ある記録は、皇帝は演説をしたが、まったく違うことを言ったとしており、許しを請うたことや互いの法要、死のうという宣言などの感動的な話を伝えている記録はひとつもない。 逆に、目撃者の記録の多くは、コンスタンティノープルビザンツ人は断固命を賭けて戦おうとはしておらず、防衛にもっとも熱心だったのはヴェネツィア人とジェノヴァ人の部隊だったと述べている。 金持ちのビザンツ人は、財産を防衛のために差し出すどころか隠そうとしたし、貧しいものは、給料を払ってくれれば従軍すると言ったという。*1

読んでいて、初っ端から不穏となる記述だったため、少々長いが、引用をした次第だ。 筆者自身もぶちかましたことは認識しており「このありさまでは、ビザンツ帝国の最後の物語は書きにくくなるかもしれない。」と述べている*2

ビザンツ帝国にとって、これまでもそうであったように、異教徒であっても、使える手は結ぶといった状況で、「キリスト教 vs イスラーム」という構図は、西方キリスト教世界を相手に演出はしても、本質ではなかった。 トルコ人は異教徒ではあるが、コンスタンティノープルにも多く居住しており、常日頃から顔を突き合わせる隣人であり、互いに商売相手であったという状況だった。

そもそも、「キリスト教世界」と一括りにするのが間違いだろう。 現代の我々からすると、と言えば主語が大きくなりすぎるが、少なくとも、高校世界史のレベルであれば、それがカトリックであれプロテスタントであれ、東方教会であれ、一括りに「キリスト教」と言っていることがほとんどだろう。 しかし、ビザンツ人からすれば、イスラームが異教徒であるのと同様に、西方キリスト教も同程度に「異教徒」のようなものであったのだろうと想像する。 新旧約聖書という「プロトコル」を持つため、「異教徒」というのは言葉にすぎるが、それだけに、第四次十字軍があり、コンスタンティノープルに植民地を持つ、商売敵であり、関わるにはややこしい相手であったという状況というべきかもしれない。

そして、オスマンを相手に自身の生存が危ういにもかかわらず、ビザンツ帝国が一つにまとまれないのは、コンスタンティノープルから半独立の専制公という遠心力のあるシステムがあり、そして、その専制公らがそれぞれに、生存戦略を西方キリスト教世界、あるいは、オスマンとの融和、等々の軸に求めていたからでもあった。

本書を読んでいると、滅亡も直前の直前まで、生存戦略を巡って内部で争い続けており、その記述は「1453年」というその時が近づくにつれ、時間の刻みが細かくなり、まるで「アキレスと亀」のような感覚を覚えるところもある。 ただ、これは、我々が「1453年」という決定的なタイミングを後知恵で知っているからそう感じるのであり、直前まで生存に向けた議論や努力をおこなっていたのは、そのときを生きたビザンツ人にとって、「1453年」は自明ではなかったということでもあるのではないか。

果たして、コンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国は滅亡したが、今度は、その状況を前に、上は専制公から、下は貧民まで、西か東かの選択を迫られる様子を筆者は細かく描いていく。

筆者がうまいなと思うところは、冒頭でロマンは破砕しつつも、多彩な登場人物たちを駆使して、当時のビザンツ帝国内の動きを描き、ストーリーを再構築する部分であろうと思う。

英雄的、ロマン的な最期の描写の典型例として、スティーブン・ランシマン卿が挙げられているが、記憶では、15歳のときに『コンスタンティノープル陥落す』を読んだ記憶があり、訳者の井上があとがきで言及している塩野七生の『コンスタンティノープルの陥落』もその後に読んだ記憶がある。 当時は、この描写に心打たれたという記憶があるが、今になってみれば、ジョナサン・ハリスの描く像のほうが、リアルであり、人間味があり、非常に面白いと感じる。 本筋とは関係ない副産物だが、これもまた発見であった。

*1:本書、pp. 10-11。なお、西暦はアラビア数字に改めた。

*2:本書、p. 11。

ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)『ビザンツ帝国 - 生存戦略の一千年』白水社、2018年。

ビザンツ帝国 生存戦略の一千年

ビザンツ帝国 生存戦略の一千年

個人的には、「弱小」というのがビザンツ帝国に持つ印象だった。 特に、ローマ帝国の後継と考えると、エジプトやシリアを失ったあたりから、版図が小さくなっているというのが大きい。 無論、版図が広ければいいという話ではなく、そもそも版図や国境線という考え方が、国民国家・領域国家に基づく、近代的な考え方ではある一方、それが広がったとされるユスティニアヌス時代は単に無茶をして帝国に危機を招いた。 個人的な関心から言えば、軍事的にも盛り上がりに欠ける……、というのが本書を読む前の印象だった。

このようなものの見方に対し、著者は序章で一刀両断にする。少々長いが重要な部分なので、しっかりと引用する

ビザンツ帝国の社会や精神の特徴は、国境へのきわめて強く、かつ絶え間ない圧力に対応するなかで形作られた。外からの挑戦に立ち向かうのに、ここでは勇敢な軍隊だけでは充分ではなかった。ある集団を軍事力で打ち破れば、代わって新たに三つの集団が現れるに違いないからである。まったく新しい考え方を採用し、軍事以外の方法で脅威を取り除くよう務める必要があった。外敵の同化や定住、買収や秘密工作、あるいは、もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた。ビザンツ帝国は繰り返し危機に見舞われたが、そのつど切りぬけ、立ち直った。ビザンツ文明のこのような特徴が正しく評価されてこなかったとすれば、責任の一端はビザンツ人自身にもある。文学・芸術・儀式において、ビザンツ人は歴史における最大の偽装詐欺をやってのけた。自分たちの社会や過去の完璧な継続だと表明したのである。あたかも古代から何も変わっていないかのように、最後の最後まで「ローマ人」と自称したのもそのひとつであった。実際のところビザンツ社会は、際限なく続く脅威に直面するなかで、絶えず革新と適応を繰り返していった。ビザンツ人の自己評価を鵜呑みにすると、ビザンツ社会の本質を見逃すことになりかねない。つまり、ジルやギボン以下、なぜビザンツは消え去ったのかを考察した人々は、そもそも間違った問いを立てていたのである。なぜ滅びたのではなく、このようなきわめて不利な条件のもとでなぜ存続できたのか、なぜある時期には反映し、拡大しさえしたのか、それこそが肝心かなめの問題なのである。*1

非常に端的に言ってしまえば、ビザンツ帝国の対外政策に関しては、本書はこのテーマが繰り返し論ぜられることとなる。

本書を読んで、「ビザンツ帝国コンスタンティノープルのための帝国である」という感想を持った。「もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた」というがもっとも壮麗なものの一つがコンスタンティノープルであった。 一方、「コンスタンティノープルのための帝国」であるがため、阻害された属州では疎外感が高まり、テマ長官や軍事貴族らの反乱が幾度となく繰り返される。その頻度たるやまともな皇位継承はほとんどないのではないかというくらいだ。 しかし、皮肉なことに、反乱の成功は、コンスタンティノープルを掌握できるかどうかにかかっていたし、コンスタンティノープルを掌握した皇帝は軍事貴族たちの勢力を削ぐことに執心した。 そして、オスマン朝のメフメト2世がコンスタンティノープルを1453年に占領した際には、「ミストラやペロポネソスがなおビザンツ人の手に残されていたものの、その地にいたコンスタンティノスの弟たちは皇帝を名乗らなかったので、コンスタンティノス十一世が最後のビザンツ皇帝となった。ビザンツ人の理念や魂にとってコンスタンティノープルこそが核心であったから、この町なくして帝国が存続し得るとは考えられなかった*2」のである。

ビザンツ帝国は「アジアの草原地帯やアラビア半島から人の波が西へと流れてゆく『民族のボウリング場』の端*3」に位置していた。 黒海を挟んで北にはルーシがおり、西にはブルガリアやノルマンがいた。 ビザンツ帝国はこの地理的な位置ゆえに、領域への圧力が高い状態が断続的に続いたが、反対に言えば、このような場所にあったがゆえに、存続のための最大の武器―金―を持つこととなったのだと思う。 本書ではビザンツ帝国の経済的な部分について語られる部分はあまり多くなかったが、潤沢な財貨があってこそ、「毒をもって毒を制す」といった戦略を駆使することができた。 ビザンツ帝国にとって人的資源こそが貴重であった。 反対に言えば、金の切れ目が縁の切れ目であった。

ビザンツ帝国滅亡の種は、内覧の際にカンタクゼノスが、援軍を求めて外国君主を味方に引き入れたときに蒔かれた。もちろん、それ自体は何ら目新しいことではなかった。歴代の皇帝が何百年にもわたって行ってきたことである。今回違ったのは、先帝たちが用いていたすばらしい武器がカンタクゼノスにはなかった点にある。外交の歯車を円滑にし、同盟者の忠誠を確保する、無尽蔵と思われた金貨が、もはや供給できなかったのである。

そういう意味では、貿易の競争相手となった、ジェノヴァヴェネツィアを含める「ラテン人」が帝国を蝕んだという側面はあるといわんばかりの記述はなかなかに面白かった。 特に、第四回十字軍によるコンスタンティノープル占領後にビザンツ人の心性が微妙に変化している点の指摘は興味深く、少し物悲しい。少々長いが引用する。

これまでのビザンツ帝国は、次々と押し寄せてくる危険な戦士集団を手なずけ、取り込んでいった。しばしば帝国軍に徴用し、他の敵に差し向けたのだが、この政策は一二〇四年に大失敗となる。失敗に対するビザンツ人の反応の一つが、遥かに狭い自己認識に引きこもることであり、そのひとつの兆候が自称の変化であった。公式にはビザンツ人は「ローマ人」と名乗っており、この言葉に民族・人種的には意味合いはまったく含まれていない。ローマ人とはキリスト教ローマ皇帝の臣下であるに過ぎない。ところがこの頃になると、ビザンツ人の中にみずからを「ヘレネス」と呼ぶものが現れ始めた。「ヘレネス」は新しい言葉ではなく、古代ギリシア人の自称であった。ビザンツ人はギリシア人の文学作品をきわめて高く評価しつつも、「異教徒」を意味するようになった「ヘレネス」という表現は、これまでずっと避けていた。しかし今やそれが復活の兆しを見せ、おそらく自分たちをラテン人から区別する特徴のひとつ――言語――を表明するものとなったのである。[...]こうして今やビザンツ人は、普遍的な理想ではなく、言語や民族という点から自己を定義するようになった。皮肉なことにこの点において、何世紀にも渡ってビザンツ人を「ギリシア人」と呼んできた、ラテン的西方世界の習慣に従うことになったのである。ただし、このような変化が生じた理由は容易に理解できる。敗北と占領は、いつの時代も民族意識国民意識を先鋭化させるものなのである。*4

終章にて、「ビザンツ帝国の最大の遺産は、もっとも厳しい逆境にあっても、他者をなじませ統合する能力にこそ、社会の強さがあるという教訓である。*5」と締めくくっているが、「ローマ人」から「ヘレネス」への自称の変化は財貨の観点以外に、心性の面でも、選択の幅が狭まっていったことを示している。

訳者の井上はあとがきにて「こんな本を書きたかった……、訳し終えての感慨である*6」と述べているが、読後感は、「こんな本を読めてよかった」である。 ビザンツ帝国から、なんとなく興味がありつつも、正直、どの本から手を付けたものか、という感じであった。 その点、本書は皇帝中心の政治史であるが、全体を概観することができ、他の本も手にとって理解できるようになる素地は整ったように思う。 非常に読み応えのある一冊であった。

とりあえず次の一冊は、これにしてみようと思う。

ビザンツ帝国の最期

ビザンツ帝国の最期

*1:本書、 pp. 16-17

*2:本書 p. 335

*3:本書 p.16

*4:本書、p.298

*5:本書 p.339

*6:本書、p.351

エリック・H・クライン『B.C. 1177 - 古代グローバル文明の崩壊』筑摩書房、2018年。

B.C.1177 (単行本)

B.C.1177 (単行本)

古代への情熱が少し高まっていたので、買っていた一冊。

「古代グローバル文明の崩壊」という副題は大げさ、というか、邦題にありがちな「現代的感覚に寄せたキャッチー」なそれだと思った(とりあえず「グローバル」と入れておけといったような)。

しかし、実際に読んでみると、後期青銅器時代のオリエント~ギリシャの政治的、経済的、文化的な、想像を遥かに超えた交流が、生き生きと描かれていた。 個人的には、不勉強故に無味乾燥で「高校世界史の教科書では暗記ゲームになっている、なんかよくわからないが興っては廃れる」王国や帝国に、一転、色彩が与えられるかのような感覚があった。 タイトルには「崩壊」とあるが、本書のほとんどは、この交流が描かれていたという印象だ。

原題は "1177 B.C. The Year Civilization Collapsed" である。 "Civilization" と単数形であるところが注目点である。 このことについて、解説の橋川の「本書の表題にある単数形の『文明』は、後期青銅器時代の近東・東地中海世界の個々の社会、国家、文明が長期的にわたってはぐくんだ緊密かつ複雑なネットワークを象徴するタームである」との説明が書評としては必要十分なのでこれを引いておくことにしよう。そして、本書で「この『文明』は全一三世紀末から一二世紀初めにかけて、劇的な終わりを迎えた、つまり崩壊したとされるが、その崩壊の理由は何なのか、その時期一体何が起こっていたのか、とクラインは問う。*1

邦題について、ありがちな「現代的感覚に寄せたキャッチー」なそれと冒頭で言及したが、実際の内容も、良い意味で、「現代的感覚に寄せた」表現が面白い。 この点については訳者の安原も言及していて首肯したため、引いておく。

「とはいえ本書の一番の読みどころは、この時代の文明と現代文明との類似性、あるいは共通性の考察にあると言っていいだろう。たとえば『当時の錫(青銅の原料)の重要性は、現代の原油のそれに匹敵していた』という指摘、よくも悪くも活発的な外交交渉が行われ、政治経済の相互依存度の度合いが極めて高かったことなど、しろうと目にも現代とよく似ていると驚かざるを得ない。*2

本書のテーマは、「後期青銅器文明が一斉に滅んだが、それは本当にいわゆる「海の民」が原因であったのか?」という非常に大きな物語である。

しかしながら、筆致はテーマの大きさを考えると、古代文書をふんだんに引いていると感じた。なんとなくの印象は残っているものの、少なくとも自分には、覚えきれないほどの文書が引用されていた(ファラオに露骨に金をせびる他国の君主とか面白すぎる)。

全体的に小さいエピソードが散りばめており、読んでいて飽きるようなことはなかった。寝る前や通勤・退勤中にの細かい時間でもぐっと入りこんで、読めた感がある。最近、読書からは離れてしまっていたところがあったので、久々の感覚だった。

一方で「このことについては後で考察する」という部分が多く、細切れにしか進められない人間からすると、覚えていられず、ちょっと厳しいところはあったが、全体的にはわかりやすく構成されていた。

肝心の結論部は、ちょっと物足りない感じはするものの、下手に言い切らないところに好感が持てた。 史料が不十分だからこそ、大胆な想像は重要だが、なけなしの史料を丁寧に分析し、地に足をつけた像を描いて見せている。

*1:本書 p. 277 - 278

*2:本書 p.273

青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』(興亡の世界史シリーズ)講談社学術文庫、2018年。

やっと読み終えた。 序章終章以外にも、著者の現代世界への目線ががちょいちょい出てきて、我田引水感がすごく、そのあたりは全然響かなかった。 青柳正規ってこんな感じだったっけ?

岩波ジュニア新書の『ローマ帝国』のほうが面白かったような。

人類誕生のからそこそこ丁寧に書いており、紙幅と著者の専門との関係で、展開はテンポがよく、知らないこともたくさんあって、その点では面白かった。 著者の世界観はスルーでOK。

藤田嗣治展に行ってきた

藤田嗣治展に行ってきた。 わざわざ、こんな台風でヤバイ日に外に出なくても、と自分でも思うが、ここまで行ける日がなかった。

個人的には、「藤田嗣治」というよりかは「レオナール・フジタ」というほうがイメージが強いのだが、名前はなんとなく知っていた。

藤田により強い関心が芽生えたのは、片山杜秀の『未完のファシズム』で『アッツ島玉砕』が紹介されていたからだった。

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

今回の藤田嗣治展でも一番見たかったのはこの一枚だった。 あれは、「作戦記録画」という代物で、主に軍部の嘱託により制作され、軍部に公式に認められたもので、「戦争画」よりは語義が狭いらしい。

戦後、藤田はフランスへ渡り、その後、日本へは帰ってこなかったというのを聞いており、「戦争に利用された悲劇の画家」というイメージがあった。

一方、解説を読むと、戦争へ向かう日本に渋々帰ってくるような表現がある一方、「作戦記録画」をわりとノリノリで描いていたところもあり、実際のところはよくわからない。

肝心の『アッツ島玉砕』はというと、思ったよりサイズが大きく圧倒されたというのが第一の感想。 敵味方入り乱れての白兵戦状態で、銃は弾を飛ばすものではなく、槍や棍棒と化している。 全体的に茶色で暗い作品で、中央中景の日本兵の歯が異様に白いのに目が奪われた。

思ったより「作戦記録画」がなかった点は、ちょっと残念だった。そういう企画じゃないのはわかっていたが。 一方で、その頃の、逆光の自画像は強く印象に残った。 解説では、「作戦記録画」を発表しつつも、本作で内省が示されていると書かれていたが、かなり正しい評価だと感じる。 藤田にとって、作品に没頭するしかない世界だったのだろうと思う。

ただまぁ、こうやって考えてみると、藤田は非常に「素直」な人間だったのではないか、と思えてきた。 あと、略年表があったのだが、女をとっかえひっかえしすぎ。 なお、略年表は最後の伴侶である君代が何の説明もなく、突然、戦後、日本を離れるタイミングで現れてきて、ちょっとこまった。 横のカップルも「君代って誰?突然出てきた」と言っていたので、私の見落としではなく、突然出てきたんだろう。

また図録を買ってしまった。置く場所があまりないのに。

この展覧会のだけのつもりだったけど、おべんとう展というのもやっていて、ついでに足を運んだ。 お弁当の精霊の展示はよくわからなかったが、その他の展示は面白かった。江戸時代にはお弁当に刺身が入ってたんか。

あゆみ食堂の展示は良かったな。 ネットでも読めるようだ。

台風接近のため帰りを優先し、全部は観きれなかったが、中学生の映像作品もよかった。お弁当を作るというテーマだけでよく、あそこまで作ったもんだ。

福井憲彦『近代ヨーロッパの覇権』(興亡の世界史シリーズ)講談社、2017年。

ちょっと前に読んだので、感想をまとめておく。

大航海時代に始まり、第一次世界大戦あたりで終わる感じの内容。

正直なところ、全体的にオーソドックスな内容で、これと言って、「ここが面白かった!」とテンション高く紹介できる部分もなく、最後まで終わった印象だった。 テーマが、高校世界史で中心的に扱われがちな、政治、経済にフォーカスしていることもあるだろう。 (そして、筆者は世界史のそういう所がかなり好きな人間であった。)

しかし、侮ることなかれ。時間的に長く、地域的に幅のあるものを手堅く、一人で書き上げてしまうところが、著者の凄さとも言える。 細かい部分では、「これは知らなかった」という部分がそれなりにあった。 どこにあるかわからない読み手の問題関心に引っかかるような細かい知識が散りばめられている、そんな感じだろうか。

本書は

  • 高校の世界史は形式程度しかやってなくて、ヨーロッパ史はあまり押さえていないという人が、基礎をおさえたり
  • 高校世界史の内容はおさえているがまだ専門教育を受けていない大学1回生とかが読んで、知識を深めたり

するのにちょうどいい1冊という印象だった。

なんか、似た本があったなぁと思ったら『西洋の歴史』だった。似てないかもしれないけど。

西洋の歴史〈古代・中世編〉

西洋の歴史〈古代・中世編〉

西洋の歴史 近現代編

西洋の歴史 近現代編

「近代ヨーロッパの歴史を知りたい」って言われたら、お手軽なので、この本を勧めるかな、という意味でおすすめの1冊。