ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)『ビザンツ帝国の最期』白水社、2013年。

ビザンツ帝国の最期

ビザンツ帝国の最期

順番的には『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』のほうが後なのだが、本棚から手にとった順では逆になってしまった。 そして、実は5月に入る前には読み終わっていたのだが、怠惰のせいで記録が遅れてしまった。

本物の千年王国として盛衰はありつつも生きながらえたビザンツ帝国の最期を、少なくとも筆者は、ロマンチックであり、英雄的なものとして記憶していた。 そして、どうも、「世間」でもだいたいそんな感じで記憶されているようだ。

著者は初っ端から、このロマンを砕いてくる。

皇帝の最後の演説、涙ながらの抱擁、祖国と信仰のために死ぬ覚悟であるという表明、これらの話は、絶望的な状況の中で、それに立ち向かう英雄的行為、自己犠牲の感動的な例として、何世紀にもわたって繰り返し語られてきた。 悲しいかな、それが事実ではないことはほぼ確実である。この話を伝えている年代記は偽作であった。 その年代記ビザンツ宮廷の政治家ゲルギオス・フランゼス(1401~1478)による方位の目撃記録と称しているが、実は一世紀も後になって、ナポリに住むギリシア大主教によって書かれたものなのである。 著者の大主教は、神聖ローマ皇帝がほどなくスルタンに戦いを挑み、コンスタンティノープルキリスト教徒の支配下に戻してくれるだろうという希望のもと、ギリシア人同胞を共通の敵のイスラームに対する戦いへと駆り立てようと考えて、祖先であるビザンツ人の英雄的行為を飾り立て、誇張して書いたのである。 1453年の包囲を記す正真正銘の同時代の記録の多くは、ずいぶん違う話を伝えている。 ある記録は、皇帝は演説をしたが、まったく違うことを言ったとしており、許しを請うたことや互いの法要、死のうという宣言などの感動的な話を伝えている記録はひとつもない。 逆に、目撃者の記録の多くは、コンスタンティノープルビザンツ人は断固命を賭けて戦おうとはしておらず、防衛にもっとも熱心だったのはヴェネツィア人とジェノヴァ人の部隊だったと述べている。 金持ちのビザンツ人は、財産を防衛のために差し出すどころか隠そうとしたし、貧しいものは、給料を払ってくれれば従軍すると言ったという。*1

読んでいて、初っ端から不穏となる記述だったため、少々長いが、引用をした次第だ。 筆者自身もぶちかましたことは認識しており「このありさまでは、ビザンツ帝国の最後の物語は書きにくくなるかもしれない。」と述べている*2

ビザンツ帝国にとって、これまでもそうであったように、異教徒であっても、使える手は結ぶといった状況で、「キリスト教 vs イスラーム」という構図は、西方キリスト教世界を相手に演出はしても、本質ではなかった。 トルコ人は異教徒ではあるが、コンスタンティノープルにも多く居住しており、常日頃から顔を突き合わせる隣人であり、互いに商売相手であったという状況だった。

そもそも、「キリスト教世界」と一括りにするのが間違いだろう。 現代の我々からすると、と言えば主語が大きくなりすぎるが、少なくとも、高校世界史のレベルであれば、それがカトリックであれプロテスタントであれ、東方教会であれ、一括りに「キリスト教」と言っていることがほとんどだろう。 しかし、ビザンツ人からすれば、イスラームが異教徒であるのと同様に、西方キリスト教も同程度に「異教徒」のようなものであったのだろうと想像する。 新旧約聖書という「プロトコル」を持つため、「異教徒」というのは言葉にすぎるが、それだけに、第四次十字軍があり、コンスタンティノープルに植民地を持つ、商売敵であり、関わるにはややこしい相手であったという状況というべきかもしれない。

そして、オスマンを相手に自身の生存が危ういにもかかわらず、ビザンツ帝国が一つにまとまれないのは、コンスタンティノープルから半独立の専制公という遠心力のあるシステムがあり、そして、その専制公らがそれぞれに、生存戦略を西方キリスト教世界、あるいは、オスマンとの融和、等々の軸に求めていたからでもあった。

本書を読んでいると、滅亡も直前の直前まで、生存戦略を巡って内部で争い続けており、その記述は「1453年」というその時が近づくにつれ、時間の刻みが細かくなり、まるで「アキレスと亀」のような感覚を覚えるところもある。 ただ、これは、我々が「1453年」という決定的なタイミングを後知恵で知っているからそう感じるのであり、直前まで生存に向けた議論や努力をおこなっていたのは、そのときを生きたビザンツ人にとって、「1453年」は自明ではなかったということでもあるのではないか。

果たして、コンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国は滅亡したが、今度は、その状況を前に、上は専制公から、下は貧民まで、西か東かの選択を迫られる様子を筆者は細かく描いていく。

筆者がうまいなと思うところは、冒頭でロマンは破砕しつつも、多彩な登場人物たちを駆使して、当時のビザンツ帝国内の動きを描き、ストーリーを再構築する部分であろうと思う。

英雄的、ロマン的な最期の描写の典型例として、スティーブン・ランシマン卿が挙げられているが、記憶では、15歳のときに『コンスタンティノープル陥落す』を読んだ記憶があり、訳者の井上があとがきで言及している塩野七生の『コンスタンティノープルの陥落』もその後に読んだ記憶がある。 当時は、この描写に心打たれたという記憶があるが、今になってみれば、ジョナサン・ハリスの描く像のほうが、リアルであり、人間味があり、非常に面白いと感じる。 本筋とは関係ない副産物だが、これもまた発見であった。

*1:本書、pp. 10-11。なお、西暦はアラビア数字に改めた。

*2:本書、p. 11。

ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)『ビザンツ帝国 - 生存戦略の一千年』白水社、2018年。

ビザンツ帝国 生存戦略の一千年

ビザンツ帝国 生存戦略の一千年

個人的には、「弱小」というのがビザンツ帝国に持つ印象だった。 特に、ローマ帝国の後継と考えると、エジプトやシリアを失ったあたりから、版図が小さくなっているというのが大きい。 無論、版図が広ければいいという話ではなく、そもそも版図や国境線という考え方が、国民国家・領域国家に基づく、近代的な考え方ではある一方、それが広がったとされるユスティニアヌス時代は単に無茶をして帝国に危機を招いた。 個人的な関心から言えば、軍事的にも盛り上がりに欠ける……、というのが本書を読む前の印象だった。

このようなものの見方に対し、著者は序章で一刀両断にする。少々長いが重要な部分なので、しっかりと引用する

ビザンツ帝国の社会や精神の特徴は、国境へのきわめて強く、かつ絶え間ない圧力に対応するなかで形作られた。外からの挑戦に立ち向かうのに、ここでは勇敢な軍隊だけでは充分ではなかった。ある集団を軍事力で打ち破れば、代わって新たに三つの集団が現れるに違いないからである。まったく新しい考え方を採用し、軍事以外の方法で脅威を取り除くよう務める必要があった。外敵の同化や定住、買収や秘密工作、あるいは、もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた。ビザンツ帝国は繰り返し危機に見舞われたが、そのつど切りぬけ、立ち直った。ビザンツ文明のこのような特徴が正しく評価されてこなかったとすれば、責任の一端はビザンツ人自身にもある。文学・芸術・儀式において、ビザンツ人は歴史における最大の偽装詐欺をやってのけた。自分たちの社会や過去の完璧な継続だと表明したのである。あたかも古代から何も変わっていないかのように、最後の最後まで「ローマ人」と自称したのもそのひとつであった。実際のところビザンツ社会は、際限なく続く脅威に直面するなかで、絶えず革新と適応を繰り返していった。ビザンツ人の自己評価を鵜呑みにすると、ビザンツ社会の本質を見逃すことになりかねない。つまり、ジルやギボン以下、なぜビザンツは消え去ったのかを考察した人々は、そもそも間違った問いを立てていたのである。なぜ滅びたのではなく、このようなきわめて不利な条件のもとでなぜ存続できたのか、なぜある時期には反映し、拡大しさえしたのか、それこそが肝心かなめの問題なのである。*1

非常に端的に言ってしまえば、ビザンツ帝国の対外政策に関しては、本書はこのテーマが繰り返し論ぜられることとなる。

本書を読んで、「ビザンツ帝国コンスタンティノープルのための帝国である」という感想を持った。「もっとも特異な方法として、壮麗なものを見せて敵を畏怖させ、友人ないし同盟者として囲い込むことなどが試みられた」というがもっとも壮麗なものの一つがコンスタンティノープルであった。 一方、「コンスタンティノープルのための帝国」であるがため、阻害された属州では疎外感が高まり、テマ長官や軍事貴族らの反乱が幾度となく繰り返される。その頻度たるやまともな皇位継承はほとんどないのではないかというくらいだ。 しかし、皮肉なことに、反乱の成功は、コンスタンティノープルを掌握できるかどうかにかかっていたし、コンスタンティノープルを掌握した皇帝は軍事貴族たちの勢力を削ぐことに執心した。 そして、オスマン朝のメフメト2世がコンスタンティノープルを1453年に占領した際には、「ミストラやペロポネソスがなおビザンツ人の手に残されていたものの、その地にいたコンスタンティノスの弟たちは皇帝を名乗らなかったので、コンスタンティノス十一世が最後のビザンツ皇帝となった。ビザンツ人の理念や魂にとってコンスタンティノープルこそが核心であったから、この町なくして帝国が存続し得るとは考えられなかった*2」のである。

ビザンツ帝国は「アジアの草原地帯やアラビア半島から人の波が西へと流れてゆく『民族のボウリング場』の端*3」に位置していた。 黒海を挟んで北にはルーシがおり、西にはブルガリアやノルマンがいた。 ビザンツ帝国はこの地理的な位置ゆえに、領域への圧力が高い状態が断続的に続いたが、反対に言えば、このような場所にあったがゆえに、存続のための最大の武器―金―を持つこととなったのだと思う。 本書ではビザンツ帝国の経済的な部分について語られる部分はあまり多くなかったが、潤沢な財貨があってこそ、「毒をもって毒を制す」といった戦略を駆使することができた。 ビザンツ帝国にとって人的資源こそが貴重であった。 反対に言えば、金の切れ目が縁の切れ目であった。

ビザンツ帝国滅亡の種は、内覧の際にカンタクゼノスが、援軍を求めて外国君主を味方に引き入れたときに蒔かれた。もちろん、それ自体は何ら目新しいことではなかった。歴代の皇帝が何百年にもわたって行ってきたことである。今回違ったのは、先帝たちが用いていたすばらしい武器がカンタクゼノスにはなかった点にある。外交の歯車を円滑にし、同盟者の忠誠を確保する、無尽蔵と思われた金貨が、もはや供給できなかったのである。

そういう意味では、貿易の競争相手となった、ジェノヴァヴェネツィアを含める「ラテン人」が帝国を蝕んだという側面はあるといわんばかりの記述はなかなかに面白かった。 特に、第四回十字軍によるコンスタンティノープル占領後にビザンツ人の心性が微妙に変化している点の指摘は興味深く、少し物悲しい。少々長いが引用する。

これまでのビザンツ帝国は、次々と押し寄せてくる危険な戦士集団を手なずけ、取り込んでいった。しばしば帝国軍に徴用し、他の敵に差し向けたのだが、この政策は一二〇四年に大失敗となる。失敗に対するビザンツ人の反応の一つが、遥かに狭い自己認識に引きこもることであり、そのひとつの兆候が自称の変化であった。公式にはビザンツ人は「ローマ人」と名乗っており、この言葉に民族・人種的には意味合いはまったく含まれていない。ローマ人とはキリスト教ローマ皇帝の臣下であるに過ぎない。ところがこの頃になると、ビザンツ人の中にみずからを「ヘレネス」と呼ぶものが現れ始めた。「ヘレネス」は新しい言葉ではなく、古代ギリシア人の自称であった。ビザンツ人はギリシア人の文学作品をきわめて高く評価しつつも、「異教徒」を意味するようになった「ヘレネス」という表現は、これまでずっと避けていた。しかし今やそれが復活の兆しを見せ、おそらく自分たちをラテン人から区別する特徴のひとつ――言語――を表明するものとなったのである。[...]こうして今やビザンツ人は、普遍的な理想ではなく、言語や民族という点から自己を定義するようになった。皮肉なことにこの点において、何世紀にも渡ってビザンツ人を「ギリシア人」と呼んできた、ラテン的西方世界の習慣に従うことになったのである。ただし、このような変化が生じた理由は容易に理解できる。敗北と占領は、いつの時代も民族意識国民意識を先鋭化させるものなのである。*4

終章にて、「ビザンツ帝国の最大の遺産は、もっとも厳しい逆境にあっても、他者をなじませ統合する能力にこそ、社会の強さがあるという教訓である。*5」と締めくくっているが、「ローマ人」から「ヘレネス」への自称の変化は財貨の観点以外に、心性の面でも、選択の幅が狭まっていったことを示している。

訳者の井上はあとがきにて「こんな本を書きたかった……、訳し終えての感慨である*6」と述べているが、読後感は、「こんな本を読めてよかった」である。 ビザンツ帝国から、なんとなく興味がありつつも、正直、どの本から手を付けたものか、という感じであった。 その点、本書は皇帝中心の政治史であるが、全体を概観することができ、他の本も手にとって理解できるようになる素地は整ったように思う。 非常に読み応えのある一冊であった。

とりあえず次の一冊は、これにしてみようと思う。

ビザンツ帝国の最期

ビザンツ帝国の最期

*1:本書、 pp. 16-17

*2:本書 p. 335

*3:本書 p.16

*4:本書、p.298

*5:本書 p.339

*6:本書、p.351

エリック・H・クライン『B.C. 1177 - 古代グローバル文明の崩壊』筑摩書房、2018年。

B.C.1177 (単行本)

B.C.1177 (単行本)

古代への情熱が少し高まっていたので、買っていた一冊。

「古代グローバル文明の崩壊」という副題は大げさ、というか、邦題にありがちな「現代的感覚に寄せたキャッチー」なそれだと思った(とりあえず「グローバル」と入れておけといったような)。

しかし、実際に読んでみると、後期青銅器時代のオリエント~ギリシャの政治的、経済的、文化的な、想像を遥かに超えた交流が、生き生きと描かれていた。 個人的には、不勉強故に無味乾燥で「高校世界史の教科書では暗記ゲームになっている、なんかよくわからないが興っては廃れる」王国や帝国に、一転、色彩が与えられるかのような感覚があった。 タイトルには「崩壊」とあるが、本書のほとんどは、この交流が描かれていたという印象だ。

原題は "1177 B.C. The Year Civilization Collapsed" である。 "Civilization" と単数形であるところが注目点である。 このことについて、解説の橋川の「本書の表題にある単数形の『文明』は、後期青銅器時代の近東・東地中海世界の個々の社会、国家、文明が長期的にわたってはぐくんだ緊密かつ複雑なネットワークを象徴するタームである」との説明が書評としては必要十分なのでこれを引いておくことにしよう。そして、本書で「この『文明』は全一三世紀末から一二世紀初めにかけて、劇的な終わりを迎えた、つまり崩壊したとされるが、その崩壊の理由は何なのか、その時期一体何が起こっていたのか、とクラインは問う。*1

邦題について、ありがちな「現代的感覚に寄せたキャッチー」なそれと冒頭で言及したが、実際の内容も、良い意味で、「現代的感覚に寄せた」表現が面白い。 この点については訳者の安原も言及していて首肯したため、引いておく。

「とはいえ本書の一番の読みどころは、この時代の文明と現代文明との類似性、あるいは共通性の考察にあると言っていいだろう。たとえば『当時の錫(青銅の原料)の重要性は、現代の原油のそれに匹敵していた』という指摘、よくも悪くも活発的な外交交渉が行われ、政治経済の相互依存度の度合いが極めて高かったことなど、しろうと目にも現代とよく似ていると驚かざるを得ない。*2

本書のテーマは、「後期青銅器文明が一斉に滅んだが、それは本当にいわゆる「海の民」が原因であったのか?」という非常に大きな物語である。

しかしながら、筆致はテーマの大きさを考えると、古代文書をふんだんに引いていると感じた。なんとなくの印象は残っているものの、少なくとも自分には、覚えきれないほどの文書が引用されていた(ファラオに露骨に金をせびる他国の君主とか面白すぎる)。

全体的に小さいエピソードが散りばめており、読んでいて飽きるようなことはなかった。寝る前や通勤・退勤中にの細かい時間でもぐっと入りこんで、読めた感がある。最近、読書からは離れてしまっていたところがあったので、久々の感覚だった。

一方で「このことについては後で考察する」という部分が多く、細切れにしか進められない人間からすると、覚えていられず、ちょっと厳しいところはあったが、全体的にはわかりやすく構成されていた。

肝心の結論部は、ちょっと物足りない感じはするものの、下手に言い切らないところに好感が持てた。 史料が不十分だからこそ、大胆な想像は重要だが、なけなしの史料を丁寧に分析し、地に足をつけた像を描いて見せている。

*1:本書 p. 277 - 278

*2:本書 p.273

青柳正規『人類文明の黎明と暮れ方』(興亡の世界史シリーズ)講談社学術文庫、2018年。

やっと読み終えた。 序章終章以外にも、著者の現代世界への目線ががちょいちょい出てきて、我田引水感がすごく、そのあたりは全然響かなかった。 青柳正規ってこんな感じだったっけ?

岩波ジュニア新書の『ローマ帝国』のほうが面白かったような。

人類誕生のからそこそこ丁寧に書いており、紙幅と著者の専門との関係で、展開はテンポがよく、知らないこともたくさんあって、その点では面白かった。 著者の世界観はスルーでOK。

藤田嗣治展に行ってきた

藤田嗣治展に行ってきた。 わざわざ、こんな台風でヤバイ日に外に出なくても、と自分でも思うが、ここまで行ける日がなかった。

個人的には、「藤田嗣治」というよりかは「レオナール・フジタ」というほうがイメージが強いのだが、名前はなんとなく知っていた。

藤田により強い関心が芽生えたのは、片山杜秀の『未完のファシズム』で『アッツ島玉砕』が紹介されていたからだった。

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

今回の藤田嗣治展でも一番見たかったのはこの一枚だった。 あれは、「作戦記録画」という代物で、主に軍部の嘱託により制作され、軍部に公式に認められたもので、「戦争画」よりは語義が狭いらしい。

戦後、藤田はフランスへ渡り、その後、日本へは帰ってこなかったというのを聞いており、「戦争に利用された悲劇の画家」というイメージがあった。

一方、解説を読むと、戦争へ向かう日本に渋々帰ってくるような表現がある一方、「作戦記録画」をわりとノリノリで描いていたところもあり、実際のところはよくわからない。

肝心の『アッツ島玉砕』はというと、思ったよりサイズが大きく圧倒されたというのが第一の感想。 敵味方入り乱れての白兵戦状態で、銃は弾を飛ばすものではなく、槍や棍棒と化している。 全体的に茶色で暗い作品で、中央中景の日本兵の歯が異様に白いのに目が奪われた。

思ったより「作戦記録画」がなかった点は、ちょっと残念だった。そういう企画じゃないのはわかっていたが。 一方で、その頃の、逆光の自画像は強く印象に残った。 解説では、「作戦記録画」を発表しつつも、本作で内省が示されていると書かれていたが、かなり正しい評価だと感じる。 藤田にとって、作品に没頭するしかない世界だったのだろうと思う。

ただまぁ、こうやって考えてみると、藤田は非常に「素直」な人間だったのではないか、と思えてきた。 あと、略年表があったのだが、女をとっかえひっかえしすぎ。 なお、略年表は最後の伴侶である君代が何の説明もなく、突然、戦後、日本を離れるタイミングで現れてきて、ちょっとこまった。 横のカップルも「君代って誰?突然出てきた」と言っていたので、私の見落としではなく、突然出てきたんだろう。

また図録を買ってしまった。置く場所があまりないのに。

この展覧会のだけのつもりだったけど、おべんとう展というのもやっていて、ついでに足を運んだ。 お弁当の精霊の展示はよくわからなかったが、その他の展示は面白かった。江戸時代にはお弁当に刺身が入ってたんか。

あゆみ食堂の展示は良かったな。 ネットでも読めるようだ。

台風接近のため帰りを優先し、全部は観きれなかったが、中学生の映像作品もよかった。お弁当を作るというテーマだけでよく、あそこまで作ったもんだ。

福井憲彦『近代ヨーロッパの覇権』(興亡の世界史シリーズ)講談社、2017年。

ちょっと前に読んだので、感想をまとめておく。

大航海時代に始まり、第一次世界大戦あたりで終わる感じの内容。

正直なところ、全体的にオーソドックスな内容で、これと言って、「ここが面白かった!」とテンション高く紹介できる部分もなく、最後まで終わった印象だった。 テーマが、高校世界史で中心的に扱われがちな、政治、経済にフォーカスしていることもあるだろう。 (そして、筆者は世界史のそういう所がかなり好きな人間であった。)

しかし、侮ることなかれ。時間的に長く、地域的に幅のあるものを手堅く、一人で書き上げてしまうところが、著者の凄さとも言える。 細かい部分では、「これは知らなかった」という部分がそれなりにあった。 どこにあるかわからない読み手の問題関心に引っかかるような細かい知識が散りばめられている、そんな感じだろうか。

本書は

  • 高校の世界史は形式程度しかやってなくて、ヨーロッパ史はあまり押さえていないという人が、基礎をおさえたり
  • 高校世界史の内容はおさえているがまだ専門教育を受けていない大学1回生とかが読んで、知識を深めたり

するのにちょうどいい1冊という印象だった。

なんか、似た本があったなぁと思ったら『西洋の歴史』だった。似てないかもしれないけど。

西洋の歴史〈古代・中世編〉

西洋の歴史〈古代・中世編〉

西洋の歴史 近現代編

西洋の歴史 近現代編

「近代ヨーロッパの歴史を知りたい」って言われたら、お手軽なので、この本を勧めるかな、という意味でおすすめの1冊。

#きょうのsystemd : 大きな神話

大きな神話

(原文: http://0pointer.de/blog/projects/the-biggest-myths.html *1はきれいに分割されており、これらは systemd の外でも非常に使い勝手の良いものである。

69の別個のバイナリーを必要とする1つのパッケージというのはモノリシックとはほとんど呼べないかもしれない。 しかしながら、それまでのソリューションと異なるのは、1つの tarball でより多くのコンポーネントを提供しており、上流では単一のリリースサイクルで、1つのレポジトリでこれらをメンテナンスしている点にある。

2. 神話: systemd はスピードが命である

systemd が速い(900msまででユーザースペースが完璧に起動し切る。他にある?)のはそうだが、これは主に物事を正しくおこなった副作用に過ぎない。 事実、我々はじっと腰を落ち着けて、 systemd の最後のほんのわずかなパフォーマンスを最適化したことはない。 代わりにやっていたのは、コードをより読みやすくするために、頻繁に、わずかに遅いコードパスを抜け目なくつまみ出すことだ。 これは、速いということが我々と無関係だったということを意味するのではないが、スピードのために systemd を軽量化することは、かなり間違ったことだ。 というのも、このことが我々の目標のリストの上らへんに来ることはなかったのだ。

3. 神話: systemd の高速なブートはサーバーには関係ない

これはまったく真実ではない。 多くの管理者はメンテナンスウィンドウでのダウンタイムの時間を減らすことに熱心だ。 HAのセットアップでは、フェイルしたマシンが本当に素早く戻ってくるなら、それは素敵なことだ。 クラウドのセットアップでは、VMやコンテナが多ければ、ブートが遅いゆえの価格はインスタンスの数だけ倍加される。 CPUおよびIOの時間が数百のVMやコンテナの遅いブートに費やされるなら、システムの集約度は劇的に落ちるし、費用もエネルギーもかかってしまう。 遅いブートは費用面で高く付くかもしれない。 そのため、コンテナの高速なブートはソケットアクティベートなコンテナのような実装を可能にする。 これは、クラウドシステムの集約度を劇的に控除させるものである。

もちろん、多くのサーバーのセットアップではブートアップはあまり関係ないかもしれない。 だけど、 systemd はすべての領域をカバーするように考えられている。 そして、そう、ブートアップ時にほとんどの時間を費やしているのはサーバーファームウェアであることは私も気づいているし、OSはいつだって、それに比べたら速いのも知っている。 だけど、 systemd はすべての領域をカバーするように考えられているし、すべてのサーバーに良くないファームウェアが載っているわけではないし、サーバーの一種である、VMやコンテナもそうじゃない((また、我々はこれをより良くするかもしれないと思って、ちょっとしたことをやろうとしている。ファームウェアのブートタイムパフォーマンスが、 systemd のブートの結果でより明らかになって、ファームウェアのライターたちが恥ずかしがって、彼らの作ったものをきれいにしてくれるんじゃないかと期待している。)))。

4. 神話: systemdはシェルスクリプトと互換性がない

これも真っ赤な嘘だ。我々シェルスクリプトをブートプロセスでは使わない。というのも、特定の目的にとって、シェルスクリプトはベストなツールとは言えないと思っているからだ。 だけど、このことと systemd がシェルスクリプトと互換性がないというのは違う。 シェルスクリプトを簡単に systemd のサービスとして動かすことはできるし、いかなる言語で書かれたスクリプトであっても、 systemd のサービスとして動かすことができる。 systemd は用意された実行可能ファイルの中身がなんであるかなんて、一切気にしない。 さらに言えば、我々は自分たちの目的のために、シェルスクリプトをヘビーに使っている。systemd のインストールやビルド、テストにだ。 さらに、自分で作ったスクリプトをブートプロセスの初期に挟み込んだり、それを通常のサービスに使ったり、シャットダウンの最後に使ったりと、事実上、制限はない。

5. 神話: systemd は難しい

これも全くのナンセンスだ。 systemd のプラットフォームというものは、伝統的なLinuxよりも実際、非常にシンプルなものだ。 というのも、 systemd はシステムのオブジェクトおよび依存関係を systemd のユニットとして統一するものであるからだ。 設定ファイルの言語は非常にシンプルだし、冗長な設定ファイルは我々が取り除いた。 我々が提供するのはシステムの多くの設定に使える、統一的なツールである。 このシステムは伝統的なLinuxよりも非常に礫岩性の低いものだ。 また、我々は非常に包括的なドキュメント(すべてホームページからリンクされている)を systemd の非常に詳細な部分についても提供している。 これは、管理者やユーザーが触れるインターフェイスのみではなく、開発者のAPIについてもカバーしている。

systemd はもちろん、ある学習曲線を伴うものだ。何でもそうだ。 だけど、殆どの人間にとって、シェルスクリプトベースのブートよりも、 systemd を理解することのほうが実際には簡単であると我々は思っている。 こう言ったら驚くんだろうか? さて、 systemd が追い出したように、シェルスクリプトは学ぶには良い言語とは言えない。分布はわかりにくいし、複雑だ。 systemd のユニットファイルは実質的によりわかりやすいし、プログラミング言語が出てくるのではなく、本来より、シンプルで declarative である。 すべて言ったが、シェルの経験があるなら、そう systemd を受け入れるにはちょっと勉強するだけでいいだろう。

学習を簡単にするため、我々は以前のソリューションに対して、最大限の互換性を与えるよう努力してきた。 だけど、このことだけじゃなく、多くのディストリビューションで、いくつかの伝統的なツールが -- 要求に応じて実行されている一方で -- ひょっとしたらよりよい方法で、より新しいツールをかわりに使う方法を伝えてきさえすることに気づくだろう。 ((訳者注: なんか翻訳が厳しい。原文は "But not only that, on many distributions you'll find that some of the traditional tools will now even tell you -- while executing what you are asking for -- how you could do it with the newer tools instead, in a possibly nicer way." イメージとしては、service your_service stopsystemctl stop your_service にリダイレクトされる感じだと思った。))

ともかく、持ち帰れるのはたぶん、 systemd は可能な限りシンプルであろうこと、そして、我々は systemd を学習しやすいようにするため努力しているということだ。 だけど、もし sysvinit を知っているなら、 systemd を受け入れるのに、ちょっと学習が必要だろうが、本当に率直に言うと、 sysvinit をマスターしているなら、 systemd は簡単なはずだ。

6. 神話: systemd はモジュラーではない

これもまったく違う。 コンパイル時には数多くの configure のスイッチがあり、何をビルドして、何をビルドしたくないかを選べる。 そして我々がドキュメントに記していることだが、我々の configure スイッチを超えて、より詳細に、必要なものを選ぶことができる。

このモジュラリティはLinuxカーネルのものとは全然違うということはない。Linuxカーネルの場合は、コンパイル時に多くの機能を個別に選ぶことができる。 もし、カーネルがあなたにとって十分にモジュラ―であるならば、systemdもそれに近いはずである。

7. 神話: systemd はデスクトップのためだけにある

これは事実ではない。 systemd で我々はLinux自体がカバーしているのと同じだけの範囲をカバーしようとしている。 デスクトップユーザーを気にする一方、同じだけ、サーバー用途や組み込み用途も同じように気にしている。 systemd がサーバー上のサービスを管理するのにベストなオプションじゃないなら Red Hat が RHEL7 の中心のピースに systemd を据えることはないと読者は賭けても良いだろう。

数多くの会社の人々が systemd に取り組んでいる。 自動車制作会社は systemd をビルドして車へ、 Red Hat は systemd をサーバーオペレーティングシステムに使っており、 GNOME はデスクトップを改善するために systemd のインターフェイスの多くを使っている。 読者は systemd をおもちゃや、天体望遠鏡や風力タービンで見ることができるだろう。

私がもっとも最近取り組んでいる昨日の殆どは、主にサーバーに関係してくるであろうものである。 コンテナサポートリソースマネジメント、そして、セキュリティ機能だ。 我々はすでにデスクトップについてはかなりカバーしており、 systemd の開発を組み込み向けにおこなう会社は数多くあり、いくつかは systemd にコンサルティングサービスをオファーしているところすらある。

8. 神話: systemdはNIHシンドロームの結果としてつくられた

これは真実ではない。 我々は systemd に取り組み始める前は、我々は CanonicalUpstart が幅広く受容されるよう後押ししていた(そして、Fedora/RHELUpstart をしばらくの間、使ってもいた)。 しかし、我々は Upstart のデザインは内在的に、そのコアに欠点を抱えているという結論に至った(少なくとも我々の目には、である。もっとも根本的には Upstart は依存関係の管理を管理者や開発者に残したのだ。コードでこの難しい問題を解決する代わりに)。 そして、そのコアに誤ったものがあるのなら、それを直すのではなく、置き換えてしまうのがベターだ。 これが唯一の理由というわけではなく、それ以外のものも現れだした感じだ。ライセンスやコントリビューションの合意といったそのへんの systemd にまつわるものだ。 NIHは1つの理由というわけではないんだ((原文注: そして、 "libnih" というライブラリーが含まれているプロジェクトは何か考えてほしい。 Upstart or systemd のどっちだ?(ヒント: systemd ではない!)))。

9. 神話: systemd は freedesktop.org のプロジェクトである

ああ、たしかに systemd は fdo でホストされているが、 freedesktop.org はコードとドキュメントのレポジトリ以外のほとんどなにものでもない。 ほとんど誰でも、コーダーはそこにレポジトリをリクエストして、作ったものを置くことができる(作ったものが、フリーなシステムのインフラに関係がある限り)。 関わっている派閥もないし、「標準化」のスキーマもない、審査もなければ、何もない。 fdo は優れた、フリーで、頼りになる、レポジトリを持てる場所である。 それに関していえば、 fdo は SourceForgegithub 、 kernel.org と、ちょうど、商用向けじゃなく、常軌を逸した要件もなく、そのため、自分の作ったものを置くのに良い場所という点で同じだ。

なので、そう、我々は自分たちの成果物を fdo でホストしているが、この、人々の集まりがあり、その人々が話し合っては、将来のフリーシステムがどうあるべきかについて合意しているという、神話の暗黙の推定はまったくの嘘である。

10. 神話: systemd は UNIX ではない

確かにこれにはいくつかの真実が含まれている。 systemd のソースはオリジナルの UNIX を起源とするコードは1行も含まれていない。 しかし、我々は UNIX からインスピレーションを受けているし、その結果、 systemd にはたくさんの UNIX がある。 例えば、 UNIX の考え方である「すべてはファイルである」というのは、 systemd ではすべてのサービスは実行時にはカーネルファイルシステムcgroupfs に晒されるという形で反映されている。 そして、 UNIX のオリジナルの機能の1つである、ビルトインターミナルサポートをベースとする multi-seat サポートがある。 とはいえ、テキストターミナルは、今日、コンピューターとインターフェイスでどうつながるかの最先端技術水準とは言い難いだろう。 systemd では我々はネイティブな multi-seat サポートを連れ戻したが、今回は、グラフィックやマウス、オーディオ、ウェブカム、その他をカバーする今日のハードウェアをフルにサポートし、それらがすべて、完全に自動的、ホットプラグ対応で、設定が不要な状態にしている。 事実、 systemd のデザインはそれぞれが個別の目的を持っているが、組み合わせて使われたときに、単に部分を集めた以上のものになるという、一連の統合的なツールであり、これは、ほとんど UNIX の哲学のコアの部分である。 そして、我々のプロジェクトのハンドルのされ方(例えば、単一の git レポジトリでコアの OS のほとんどをメンテすること)は Linuxのやってきたこととと違って BSD (Linux と違って BSD は真の UNIX だ)のもののやり方(BSD ではコアの OSの は単一の CSV/SVN レポジトリで維持されている))のモデルにかなり近い。

究極的には、 UNIX はみんなにとって違ったものだ。 我々 systemd のメンテナーにとっては、それは、インスピレーションを得た何かである。 その他の人にとっては、宗教であり、他の世界宗教と同じように様々な読み方や理解がある。 UNIX を特定のコードの遺産に基づくものと定義する人もいるし、単なる考え方のセットだと見る人もいて、コマンドやAPIのセットであるとする人もいる。さらには、ふるまいの定義であると考える人もいる。 もちろん、これらすべての人をハッピーにすることなんてできやしない。

究極的には、何かが UNIX であるかないかという問題はほとんど問題にならない。 技術的に優れているということは、 UNIX に専用ということはほとんどない。 我々にとって、 UNIX は主要な有力者(もちろん、最大の勢力)だが、他の有力者も我々は持っている。 なので、いくつかの領域では systemd は非常に UNIX であるが、その他ではそうでもないのだ。

11. 神話: systemd は複雑である

これはちょっと正しいかもしれない。 現代のコンピューターは複雑なビーストであり、その上で動く OS も複雑に違いない。 だが、 systemd は同じコンポーネントのそれ以前の実装より複雑というわけではない。 むしろ、 systemd はよりシンプルで、(ここまでみてきたように)より冗長じゃない。 さらに言えば、 systemd をベースにシンプルなOSを作るには従来の Linux よりもかなり少ないパッケージで済むようになる。 パッケージがより少なければ少ないほど、システムをビルドするのがより簡単になるし、相互依存性やすべてのコンポーネントがバラバラの挙動をするということの多くを取り除くことができるようになる。

12. 神話: systemd は肥大化している

まぁ、肥大化というのにはきっと様々な定義がある。 だけど、たいていの定義でいえば、systemd はおそらく肥大化の反対に位置するだろう。 systemd のコンポーネントは共通のコードベースを共有しているため、共通のコードパスのコードをずっとより多く共有する傾向がある。

例えば: 従来の Linux のセットアップでは、 sysvinitに、 stop-start-daemon、 inetd、 cron、 dbus、といったすべてが様々な設定オプションを、あるうまくいけばクリーンな環境でプロセスを実行するためのスキームを実装している。 systemd では、このすべての、つまり、設定のパースのコードパスを、実際の実行とともに共有されている。 これは、より少ないコードで、ミスの発生する箇所をより少なくし、より少ないメモリとキャッシュプレッシャーを意味し、それは、非常に良いことである。 そして、副次的な効果として、それについて、非常に多くの機能性を利用者は得ることができる……。

前述の通り、systemd はかなりもジューラーでもある。 ビルドするときに、どのコンポーネントが必要で、どれが不要かを選ぶことができる。 人々は、したがって、自らが必要とするだけの「肥大化」のレベルを明確に選ぶことができる。

systemd をビルドする際、たった3つの依存関係が満たされていれば良い。 glibc と libcap、そして dubs だ。 これだけだ。 もっと多くの依存関係を使うこともできるが、これはまったくのオプションだ。

さて、これで、どういうふうに見たって、 systemd は本当に肥大化したとは言えないだろう。

(ぼちぼち訳します)

*1:誤字を指摘いただいた @henrich さんありがとうございます。)))

我々が最初ディストリビューションに systemd を入れることを提案してからというもの、多くのフォーラムやメーリングリスト、カンファレンスでこのことがしばしば論じられてきた。 これらのディスカッションでは、よく systemd に関するある神話を聞くことができた。 この神話は何度も何度も繰り返されているが、繰り返されているほどには真実を捉えていない。 では、時間をとって、そのいくつかを暴いてみよう。

1. 神話: systemd はモノリシックである

すべての設定オプションを有効にして systemd をビルドすると、69個のバラバラのバイナリーがビルドされる。 これらのバイナリーはすべて異なるタスクを提供するものであり、様々な理由できちんとわかれている。 例えば、我々はセキュリティを念頭に systemd を設計しているため、ほとんどのデーモンは最小限の特権(例えば、kernel capabilities)で実行され、これらは、セキュリティ上の表面とインパクトを最小化するため、非常にはっきりとしたタスクのみを担う。 また、 systemd はそれ以前のいかなるソリューションよりもブートをパラレル化している。 そのため、systemd が多くのバイナリーおよびプロセスにうまく分割されているというのは本質的なことなのである。 事実、これらの多くのバイナリー((原文注: 例えば、 systemd-detect-virt, systemd-tmpfiles, systemd-udevd がある。