NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦』新潮文庫、2014年

端的に本書を紹介すると、ドキュメンタリー制作のドキュメンタリーといったところか。やはり番組自体が本番であろう。

NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 DVD-BOX

NHKスペシャル 日本海軍 400時間の証言 DVD-BOX

購入は検討しているが、番組自体は見ていないので、ここに書くことは的外れのものもあるかもしれない。

本書・番組の問題関心は、「『命じられた側』ではなく、『命じた側』に迫」り、「反省会で話されている海軍の失敗を決して過去の事として語らず、現代への教訓を探す」ことにある*1。 この発想自体は特徴的というわけではなく、戸部良一他『失敗の本質』中央公論社、1991年も同じ線を行っている。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

オチとしては両者とも概ね同じ所に落ち着いていたような気もする。

第2章「開戦 海軍あって国家なし」では、どのようにして日本海軍が対米戦争に踏み切ったかという問題について検証をおこなっている。

  • 海軍は陸海軍間の予算獲得競争で散々「アメリカと戦うには金がいる」と言って予算を取っていた
  • にもかかわらず、いざ戦争となったら、「負けます」とは言えない
  • なら、一か八かやるしかない

ざっくり書いてしまえば、こんな感じであろう。この流れは既視感があり、森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか 「両論併記」と「非決定」』新潮選書、2012年がそれである。

日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)

日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)

大学図書館で借りて読んだ本のため、残念ながら手元にないが、公文書ベースで議論を展開していたと記憶している。これを機に買って読みなおすか、と思った。 開戦への流れの大筋自体には、かように既視感があったため、個人的な収穫は見いだせなかった。

ただ、伏見宮博恭王が、海軍省と軍令部との権限の綱引きで、重要な役割を担っていたという部分は非常に興味深かった。 宮様軍令部長なるものはお飾りで、実質は次長が取り仕切るものと考えていた。 片岡徹也は「実質的に参謀本部を切り回していたのは参謀次長*2」と書いており、このイメージを海軍にも投射していたことに気付かされた。 しかし、26年も年長で昭和天皇も頭の上がらない人間が軍令部長海軍省と軍令部との権限争いで、ドローの勝負を続け、お互い同じレベルのカードを出しあえば、最後はトップに行き着く。 こういう事態になれば、伏見宮ジョーカーだったろう。 陸軍の宮様総長にも、興味が湧いた。

第3章、第4章は特攻がテーマ。 ここでも、「命令する者」という観点が貫かれている。 上は「志願する者があれば、特攻をさせよ。しかし、強制はするな。」と戦後に述べているのに対し、前線指揮官は「上からの命令があった」という。「事実は一体、どのようなものだったのか」という検証を進める。

本書は、上からの命令があったとする。専用の兵器も作っているのだから、そうだろう。 ただ、これは完全に妄想であるが、「志願する者があれば、特攻をさせよ。しかし、強制はするな。」と言った、というのは、責任逃れの言ではなく、トップから見た時には「真実」なのかもしれない。上から下に伝言ゲームする中で、少し前に話題になった言葉で言うなら「忖度」が働いたのかもしれない、と考えた。 それはそれで組織の病理であることに違いはないが、別の場所で書かれていた「一つしかない事実を追求できる」というのは、いかにもジャーナリストらしいと感じた。

第5章は東京裁判でのトカゲのしっぽ切り感の半端なさが印象的。 元大佐は、裁判における勝者と敗者の非対称性に憤りを示している。しかし、彼らが活躍(暗躍と言うべきか?)したことで、今度は上下に非対称性が生まれてしまっているのがなんとも皮肉なことである。

現代と結びつけて考えようというのは既視感があったり、歴史の取り扱いのスタンスに少し疑問が浮かんだりもしたが、本書・番組の特徴は「海軍反省会」という閉鎖的空間での「率直」な証言であったり、遺族・親族の証言が聞けることであろう。 これを前にしては、既視感だの疑問だのは大した話ではなく、ぐうの音も出ない、引き込まれるというのが率直な感想である。 また、本書は番組のスタッフが地道な調査・取材をしていることがひしひしと感じられた。素直に敬意しかない。

ぜひ、番組も観たいものである(それにしても、DVD高い……)

*1: 本書、16-18頁。

*2: 片岡「秀才たちの罪」『決定版 太平洋戦争5』学習研究社、2009年、132頁。