ジェフリー・ロバーツ(松島芳彦訳)『スターリンの将軍 ジューコフ』白水社、2013年(原著2012年)

スターリンの将軍 ジューコフ

スターリンの将軍 ジューコフ

去年の夏に神保町を散策していたときに、たまたま見つけて買った本書。ずっと本棚に眠らせていたが、スチュアート・D・ゴールドマン(山岡由美訳)『ノモンハン 1939 第二次世界大戦の知られざる始点』みすず書房、2013年(実はこの本も去年の3月くらいに買ったもの)を読み、ソ連・モンゴル連合軍を指揮したジューコフに感心が湧いたため、空気を通すことにした。

「共感の賜物」

「評伝が単なる事実の集積ではなく、著者と主人公との人格の対決を経て、初めて生まれる共感の賜であることを本書は教えてくれます。*1」と松島は「訳者あとがき」で記している。この本で私に最も響いたのはこの部分だった。残念ながら本文ではない。

正直に告白すると、これまで評伝というものをあまり読んだことがなかった。修論では、ある個人に着目した研究をしていたにもかかわらず、である。 再び、松島のあとがきより引用する。 「従来のジューコフ像は、この回想録*2に過度に依存する傾向がありました。しかしソ連崩壊で明らかになった新資料によって、回想録の記述を批判的に検証できるようになりました。筆者は記録や証言と、歴史的事実を厳格に区別し、膨大な記録と記録を突き合わせることによって、一つしかないはずの事実に迫ってゆきます。*3

このあとに松島も書いていることだが、例えば、回想録に「スターリンと面談し、重要な決定を下した」といった記述があれば、スターリンの執務室の面会記録と付きあわせて、「いついつからいついつまでに面談した記録はない」といったふうに、ジューコフのついた「嘘」を綿密に暴いていくプロセスが本書の魅力(独自性・新規性といってもよい)である。

「嘘」を必要とするソ連という体制?

本書を読むと、ジューコフの回想録は「嘘」(あえて「嘘」と書く)だらけなのではないか、という感想を持ってしまう。実際にそういうわけではないだろうが。 「ジューコフの子供時代と青年期は、無一文から栄達した立身出世の物語だ。[…]彼が概ねこのような生涯を歩んだのは事実である。[…]しかし、伝説になるほど不幸な環境ではなかった。生まれた場所や家族と社会とのつながりに目を凝らせば、比較的恵まれた農家の生活があった。*4」出だしからこうである。

なぜ、このような大小の「嘘」を重ねなければならなかったのか。 この問いは、本書全体を通じて重低音のように流れている。しかし、著者の答えは冒頭に示されている。さすが、研究書。 著者は第1章を「栄枯盛衰」と名付けている。この章は第二次世界大戦ソ連勝利を称える演説をするジューコフから始まる。「傍から見れば栄達の極み」といえる場面である。だが、その後、政治に翻弄され浮き沈みを繰り返すジューコフの姿が描かれる。フルシチョフ政権下のソ連で「ジューコフは回想録の執筆に慰めを見いだした。*5」 つまるところ、戦後もジューコフは自分の地位と名誉とをかけて戦い続けなければならなかったから、というのがその回答だろう。

このような著者のリードもあるため、「さすがソ連大変やな……」とか「どう考えても、戦後が本番」などと思いながら読み進めていた。しかし、本当にそうなのか?という疑問が湧いてきた。 「嘘」をつくのはソ連という体制だから、というわけではなく、回想録だからではないか?

先に告白したとおり、評伝は経験が少ないため、この疑問は今後に持ち越したい。

評伝の難しさ

ともかく、個人の回想録とその他の史料とを突き合わせて緻密に分析する本書は、自分にとって評伝の一番のお手本である。 修論のテーマと本書は内容的には直接関係がないし、目指す方向も違っていたが、手法としては近いものがあるため、もっと早く読んでいたら、違ったものができていたかもしれないなと思う。 (なので、本稿の冒頭で挙げたように、解説の部分が最も響いた。)

ただ、評伝というものの研究上の価値付けが難しいと感じた。 本書のようなビッグネームの評伝なら、このような緻密な作業(あえて言葉を悪く言えば、「地味」な作業)をするだけで価値が出せる。人物を取り上げる理由は「ビッグネーム」という時点である程度、終わっている。もっとも、その分、先行研究も膨大なため、新規性を出すのはなかなか大変だろう。気楽で良いというつもりは毛頭ない。

「スモールネーム」だと、その人物の価値付けから始める必要がある。「そういう人がいるのはわかった。で、この人、なんか影響与えたの?そんなに大事?」という問いに答えなければならない。 もはや、ただの反省文だが、自分はこれに答えられなかった(し、もっと大きな価値付け問題にも答えられなかった)。 ただ、機が熟せばまた向かい合いたいと思っているので、「評伝が単なる事実の集積ではなく、著者と主人公との人格の対決を経て、初めて生まれる共感の賜であること」というのは肝に銘じておきたい。

*1:本書、354頁。

*2:引用者注: ジューコフジューコフ元帥回想録』朝日新聞社、1970年。

*3:本書、354頁。

*4:本書、22-23頁。

*5:本書、17頁。